武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ダイエットの後始末(3)


長々とダイエットについて考えてきた。6月から初めて7ヶ月間、はじめの4か月は減量に励み、続く3ヶ月間は、減った体重の落ち着かせ方に気を使ってきた。ダイエットにほぼ成功し、半年掛けて20歳の頃の体重に戻った、これで良し。社会人として勤めに励んだ40年で貯め込んだ体重負荷は、これでチャラ、体重だけは社会人以前に戻れた。これからは痩せた高齢者として生きてゆける。いろいろな意味でダイエットは楽しかった。 (右の画像は6月から7ヶ月間の体重変化の記録、この12月はほぼ水平方向で推移している) 
これからダイエットしようという人に、参考になるかもしれないので、気がついたことを列挙してみよう。
①寝る前と起床直後の体重測定は大事だった。一日分の飽食の結果は夜の体重に反映されるので、確実にチェックできる。体重が減り始めたときの達成感と、かえって増えてしまったときの挫折感を天秤にかけて、空腹感を押さえ込むことが出来れば、確実に体重は減り、静かな達成感が何度も味わえる。この目的を達成しつつあるという喜びは小さくない。我慢すれば喜びがあると言うことが、唯一空腹に打ち勝つ秘訣である。疎かにしてはならない。
②健康のため、美容のためなどという動機づけは、ダイエットをスタートさせるには良い切っ掛けになるかもしれないが、継続してゆくには少し物足りない。目に見えて実感できない抽象的な理由は、空腹を却ける力にはなりにくい。空腹を我慢するには、我慢したことから生じる何らかのご褒美が必要である。目的を達成しつつあるという成功感が体重測定から生まれる。
③私の場合はBMIを22に下げるために、体重を15kg減らすのが目標だった。15kgの重さのザックを背負ってみるといい。毎日24時間、その重さのザックを背負い続けるか、重荷を減らして身軽になるか、選択の余地はないように思われた。15kgの余分な荷物を下ろして何とスッキリしたことか。15kgのザックのイメージは、ダイエット開始と持続への後押しになる。自分の理想体重を身長から計算し、蓄えている余分な体重で荷物を作って持ってみることをお勧めする。24時間持ち続けるべき荷物かどうか直感的に分かる。
④申し訳ないが、街を歩いていて太った人を見ると、身長と太り具合から、何キロのお荷物をお持ちか、ある程度推測出来る。大柄な中年になると、20kgをオーバーでほとんど手に持ち続けるのが不可能な方をお見かけする。航空機の荷物預かりで拒否される重量は半端ではない。このイメージトレーニングだけで身体にも健康にも良くないことは直ぐ分かる。ダイエットを続けるには、想像力を駆使することが有効である。
⑤私の経験では、楽して手に入れたモノやコトは、あまり長くは身に付かないという印象がある。ある程度の苦痛や我慢をに耐えてこそ、定着するような気がしているので、少しだけ歯を食いしばることなら短期間なら嫌ではない。禁煙の時は、1年以上我慢し続けた。それに比べれば、ダイエットは(笑)依存症克服としては、大げさに恐れるほどのコトではなかった。満腹依存症(?)こんな言葉あるのかな。
⑥ダイエットは断食ではない。断食は非日常的は行事イベントであり一種のお祭りである。祭りが終われば日常に復帰し、一時的な減量は元に戻る。それに比べれば、ダイエットとは食習慣におけるささやかな生活革命、変革が成功すれば、変化は永続的に継続され元に戻ることはあり得ない。リバウンドとは、いわば断食になってしまい挫折した革命のようなもの、食習慣そのものへの黄色信号が肥満という現象だった訳だから、食習慣そのものの変革(大げさですね(笑)が必要だったんだと考えるしかない。人によると思うけれど、現代人は、古代ローマの貴族すら吃驚するような、とんでもない食生活をしていると言うことを、虚心に反省してみたい。過度な食の贅沢は果たして倫理的なことだろうか。