武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『南極のペンギン』高倉健著/唐仁原教久画(集英社発行2001/2/16)


 今回は、この国の現役俳優の中でもっとも存在感のある男優、高倉健について書きたい。俳優としてではなくエッセイイストとしての、言語表現者としての<健さん>の凄さについて。以前に読んだ『あなたに褒められたくて』という随筆集もよかったが、今回読んだ「南極のペンギン」には脱帽した。
 一読、これは散文詩ではないか、とも思った。抑制された全く無駄のない静かな語り口で語られる10編の物語は、全て<健さん>の40年を越す俳優生活の中から掬い取られた珠玉のエピソードが芯になった深々として爽やかな余韻を残す佳品揃いだった。
 最初に置かれている「アフリカの少年」で、一気に<健さん>の世界に引き込まれてしまった。最小限の言葉で語られる砂漠の砂嵐、日本では経験することはないが、砂漠に関心を持ったことがあるなら、想像を絶する砂嵐の自然の猛威について耳にしたことがあるだろう。砂漠で暮らす人々と、一人の少年と<夢>、健さんの言葉によって語られて初めて存在する散文詩と呼ぶしかない心の揺らぎを覚えた。
 「ハワイのベトナム料理人」はどうだろう、戦争で祖国を離れざるを得なかった<サムさん>の哀しみと人間としての矜持、健気な恋と仕事への誇り、まるで高倉健が映画の中で演じても可笑しくないような、ささやかだが忘れがたいエピソード、繰り返し出てくるサムさんの「じょうだんじゃ、ナイよ」という台詞が、多様な意味を変奏して味わい深い。
 どのエピソードも、さりげなくそっと置かれた、心の中の小石のような感じがする。小石のように目立たないが、ほのかな暖かみがあり、動かしようもなくそこに存在し、微かな光を発しているという感じだ。いわゆる心暖まる美談なんかではない。むしろ、どうしようもなく苦い、深々とした悲惨と哀しみに彩られたエピソードばかりと言っていい。
 それが、健さんの目によって捉えられ、健さんの言葉によって語られると、鈍い光を発するかけがえのない宝石のような、得難い味わいが出てくるから不思議だ。アマゾンの商品説明によると「2001年2月16日。21世紀最初の誕生日に、高倉健は絵本を出版した。さまざまな体験から汲み取ったことを、子どものために書き記した」とあった。
 子どものためとあるが、決して児童書ではない。私のような高齢者が読んでも、心が揺り動かされるような、年齢制限のない良書である。健さんのお気に入りだという唐仁原さんの挿し絵が、説明的ではなく適度な距離を置いて、抜群の配置で文章と共存していて、これぞ大人の絵本という、素敵な協奏関係を創り出している。健さんの文章は、色彩感が豊かで、きびきびと場面転換が早く、音響効果もあり、優れた映画人らしい映画的な文体と言えばいいか。
 最後に10編の物語の目次を引用しておこう。配列の工夫もなかなかと言うことに、読み終わって目次を眺めてみて気が付いた。

アフリカの少年
北極のインド人
南極のペンギン
ハワイのベトナム料理人
比叡山の生き仏
オーストラリアのホースメン
ふるさとのおかあさん
奄美の画家と少女
ポルトガルの老ショファー
沖縄の運動会

 本好きの子どもだったら、小学校低学年からでも読めるのではないか。人との接し方、優しさとは何かについて、考える切っ掛けになることを期待していい。プレゼントにも良いかもしれない。