武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 朝のワンプレート(25)

 《普段の食事の大切さ》
 友達を招待しているわけでもなく、家族の誰かの記念日でもなく、特別に嬉しいことも悲しいこともない、何でもない普通の日々の食事。
 家族の誰かが病気になっているわけでもなく、何事もなくみんなが普通に暮らしている日々が大事にされていると、余計な不幸を呼び込むリスクは最小に抑えられるような気がする。
 そんな日々に人々は何を食べているのだろうか。それが普段の食事というものだろう。あまり意識にのぼらなくて、何を食べたか覚えていないような食事が、おそらく人生の大半を占めている食事ではないだろうか。
 私は、そんな普段の食事こそが、いざという時必要になる気力や体力や免疫力を培っているのではないかと思っている。受験日の前日のカツ丼は、験を担ぐ冗談だと言うことはみんな承知の上でやっていることだ。
 誕生日や結婚式、諸々のお祝いや儀式、そんな折の特別に仕立てられた華やかなご馳走の大事なことは分かっているが、あれらは非日常の特殊な料理である。積み上げられた曰く因縁による意味付けや権威付けに支えられた儀式的食文化である。その意味で、宴会料理や宮廷料理、儀式料理をこそ伝統料理と呼ぶのは全く正しい、受け継がれてきた伝統の産物なのだから、
 だがそれとは別に、庶民の日々の食べ物は、ささやかな味覚のよろこびを伴いながら、それでも無事に過ぎた一日への感謝と、明日への元気付けとなるように、長い間、細やかな工夫によって整えられてきた。これらの日常的な家庭料理をはたして伝統料理と呼べるかどうか、私にはまだよく分からない。
 私的には、何でもない日の何でもないご飯、これこそが最も大切な日常の食事であると思うから、この日常の食事について、最大の注意力と集中力を集めて、考えてみる必要があると考えている。何でもないことを考えることは意外と難しい。
 

 前置きはこれくらいにして、朝の献立を紹介してゆこう。今回は、都合により一週間のひとり暮らしの折の朝食です。ひとり分の汁物が面倒なので、市販のスープを使いましたが、下処理済みの食材保存が出来ていると、1人でもこの程度の朝食はなんでもありません。


5月某日の朝食(上) ・市販のキムチスープ・ご飯・キュウリの塩もみ・トマト・サツマイモの温野菜・ゴーヤと油揚げのきんぴら・パプリカの温野菜・小松菜のおひたし・蕗の旨煮・蕪の甘酢漬け・白菜キムチ・セロリの白キムチ・プレーンオムレツ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳


5月某日の朝食(下) ・市販のキムチスープ・ご飯・モヤシのおひたし・ブロッコリーの温野菜・トマト・ゴーヤと油揚げのキンピラ・パプリカの温野菜・蕪の甘酢漬け・レンコンのキンピラ・蕗の旨煮・揚げ豆腐・セロリの白キムチ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳