武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 漫画家の永島慎二が心不全のため死去、67歳。60年から70年代にかけて活躍した漫画家。

toumeioj32005-07-11

 当時の漫画好きの若者達は、彼のセンスの良い独特のコマ作りにあこがれた。くどくなくシンプルな線が叙情を喚起した。余白の多い文章のような素朴でいて洗練されたタッチ。劇画が隆盛を極めていた当時、ちょっと劇画から横にずれたような彼の描く漫画は、実に新鮮だった。
 今回の訃報に接して、電子ブックで「漫画家残酷物語」を読んでみた。1巻目には「傷害保険」「ガン祖」「少年の日のけだるい孤独」「被害者」「坂道」「うすのろ」「雪」の7編が含まれている。何らかの形で漫画家になっているか漫画家を目指すかしている青年達が主人公、どの作品もちょっと苦味のきいたしゃれた短編に仕上がっていて、風俗や時間の流れの感じが60年代の雰囲気を見事に反映していることに驚いた。影響云々するのはどうかと思うが、その後の漫画の中で、永島慎二のアングルというか、物事を意外な角度からとらえる方法、コマの中の背景の配置の仕方など、何人かの漫画家の中に影響のようなものを感じたことがあったのを思い出した。例えば、真崎守やあだち充などの構図に永島慎二のなごりのようなものを感じた。漫画家の中では、意外に強い影響力をもった人だったのかもしれない。
 一つ、びっくりしたことがある。本の中では漫画家と漫画家の卵たちが、よく集まっていることだ。戦後のこの国の漫画の発展には、一国の文化の枠を打ち破るエネルギーと内容と質があったが、漫画家のくめども尽きせぬパワーは、巨大な裾野をもつ漫画家集団の発酵熱だったのかとふと思った。私は読むだけなので気づかなかったが、創作するものの集合体の生産性については構成メンバーの総和以上の力を発揮することを、経験上知っている。人は群れ寄り集まって力を発揮する生き物のようだ。永島慎二も、そんな漫画家集団の中にいたからこそ、「漫画家残酷物語」のような作品を発想し描けたのかもしれない。
 今となっては、古いとしか言いようがない気もするが、休みの日、用事のないポカットした昼下がりに手にとって見ると、セピア色のノスタルジーにじっくりと浸れそうな気がした。かつて一斉を風靡した天才漫画家のご冥福を静かにお祈りしたい。