武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ソバ屋で憩う−悦楽の名店ガイド101−』杉浦日向子とソ連編著(新潮文庫)

toumeioj32005-07-30

 杉浦日向子さんが今月の22日、下咽頭(いんとう)がんで亡くなったとの報、46歳だったという。何ともったいない、この世界がまた少しさびしく、つまらなくなってしまった。
 杉浦日向子さんが東京の京橋の呉服屋さんに産まれたのは、1958年。この国の高度経済成長とともに、育っていった方。生まれた場所と生まれた時代が、杉浦さんを江戸文化の研究に向かわせたのだろう。300年をかけて成長し熟していった稀に見る広がりと奥行きをもった江戸の文化、杉浦さんは、漫画家として、文章家として、素晴らしい表現力を駆使して、江戸の精華を鮮やかに料理して、読者を楽しませてくれた。杉浦さん以外の人には絶対に出来ない立派な数々のお仕事を思い出すにつけ、もったいない、若いのに惜しい、という想いがどうしても溢れてきてしまう。
 今回は、杉浦日向子さんの、ものすごい文章力に触れ、悲しみを体感してみることにする。取り上げるのは、『ソバ屋で憩う』。この本を見たとき、何だ食べ物屋ガイドの一つか、と軽く感じた。杉浦日向子の名前に引かれて、手に取った。「ソ連」というのも少し気になった。まえがきを読んでみた。ガーンとなった。本を持って、すぐにレジへ行った。私は、この本をソバ屋のガイドとして活用していない。
 あとがきにある二種類のソバ好きで分類すると、私は、どちらかというと、杉浦さんと違う求道者型、ソバ好きのタイプは道を分かつが、杉浦さんの言わんとすることは、即座に分かった。粋な人だと感嘆した。この本は、従って杉浦さんの文章を味わうために買った本。すばらしいまえがきをそっくり引用させてもらおう。

 グルメ本ではありません。おとなの憩いを提案する本です。
 ソバ好きの、ちょいとばかし生意気なこどもは、いますぐ、この本を閉じなさい。十年はやい世界ってものがあるのですよ。
 腹ぺこの青春諸君も、もう、この先を読まなくていいです。諸君の胃袋を歓喜させる食べ物は、ほかにゴマンとあるはずです。
 デートや接待に、使える菰蓄はないかと、データ収集のつもりの上昇志向のあなた。この本は期待に添えません。さようなら。
 さて、残った皆様。
 最近、ほっと安らいだのは、いつ、どこでですか。会社と家庭以外で、自分の時間を実感したのは、いつ、どこでですか。頑張らない、背伸びをしない、等身大の自分に還れたのは、いつ、どこでですか。そんな居場所を、日常のなかに持っていますか。
 たまにはといわず、ちょいちょい憩いましょう。ぼちぼち、うまくサボリながらやりましょう。だって、私たちは、もう十分におとななのですから。
 今日できることは、明日でもできる。どうせ死ぬまで生きる身だ。仕事をどんなに先おくりしたところで、自分の人生の時間が減るわけではありません。
 ソンナニイソイデドコヘユク。
 つまりは、そういうことなのです。ふだんのなかに、もっと憩いを。料亭やレストランではない。はやりのグルメ・スポットや居酒屋ではない。ソバ屋でたしなむ酒の昧。こんな時間が持てるということ、これぞ、いままで、生きてきた甲斐があるというもの。ラクーになれます。食欲ではない、楽欲が満たされます。
 ソバ屋で憩うのは、いかがですか。
 この本は、ソバを批評するものではありません。ソバ屋という、身近なオアシスを楽しむ本なのです。
 それでは、つたないナビゲートではありますが、これからの頁があなたの安らぎの一助となれれば、幸甚です。(杉浦日向子

 どうです、この文章の粋なこと、一読、この短文の気風とリズム感、これは並みの才能ではありません。私のこの本の読み方は、杉浦さんの書いた文章を捜して読むこと、冒頭の「特選五店」は、全部杉浦さんのガイド、素晴らしいガイドです。文が美味しいのです。他にも、短いエッセイ風の文章がちらほら、美味しい杉浦さんの文を味わってしまったら、他のメンバーのガイドも読んでみる。杉浦さん以外の方も、なかなかいけます。
 実は、このガイドに従って1軒だけ、お蕎麦をたぐりに行ってきたのだが、運悪くというか、その時は、余り感心しなかった。それ以来、この本は私にとって、ガイドブックとしての役割をしなくなり、杉浦日向子の文章をグルメするための1冊となったという訳。
 それにしても、惜しい人を亡くしてしまった。杉浦さんのいない江戸文化物なんて、ちっとも粋じゃないじゃないか、と文句の一つも言いたくなるというもの。おっと、文句をいうのはお門違い、ずいぶんと楽しませてくれてありがとうと言いたかったのです、ご冥福をお祈りします。