武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 初めてこの絵本を手にした時、本全体のデザイン感覚の洗練ぶりに魅かれた。一読、細いペン1本で書き上げた緻密でしかもやさしさに満ちたタッチの挿絵と、簡潔で象徴性豊かな文体、絵本とは思えないほどの広がりを持つストーリー展開に引き込まれ、魅了されたことを覚えている。

toumeioj32005-07-31

 その後、同じ作者のものを期待して何冊か読んだが、この「タイコたたきの夢」ほどには感心しなかった。やがて、他にも沢山興味をもつものがあり、忘れていたが持ち物を整理していたらこの本が出てきたので、懐かしくてページをめくってみて、変わらない素晴らしさに改めて感心した。紹介してみよう。
 この本では、どのページでも繰り返される、印象的で短いフレーズがある。

 ゆこう、どこかに あるはずだ
 もっとよいくに、よいくらし!

 この調子のいい短いフレーズというよりスローガンといった方がいい言葉が、このお話の推進力。一人の口からこぼれ落ちたこの言葉が、どんなに押さえ込もうとしても、町全体に広がり、その町の沢山の人々が、よいくらしを求めて苦難の旅をするお話。
 自らの暮らしに充足するのは中世的な暮らし方、よりよい暮らしを求めて流動するのは近代。このお話は、読みようによって、いろいろな読み方ができる寓話仕立てのお話になっている。通常、寓話は、細部のリアリティーに乏しい場合が多く、読み物としてつまらなくなりやすいが、このお話は、細部までしっかりしていて、そこが魅力。これは何を意味するのだろうと考えながら読むと、面白く読める仕掛けになっている。
 しかも、このお話は絵本、作者が自ら描いたという絵が秀逸、ストーリーを単に視覚的に表現するものではなく、絵自体がそれだけでも十分に素晴らしい。緻密で構成的、やさしくて可愛い。絵と文章を計りにかけると、私は絵の方に軍配を上げたくなる。
 比較的単純なストーリーなので、あまり内容に触れ過ぎてしまうと営業妨害になってしまいそう。しかし、どこにでも似たようなことがいかにもありそうな「タイコたたきの夢」。至る所で、共感、反発、嘲笑、同化などさまざまな反応を呼び起こしつつ、巨大な群集の夢に成長した「タイコたたきの夢」は、ついに攻撃、戦闘までも引き起こしながら、どこまでも夢に向かって直線的に突き進んでゆく。
 直線的なこの夢の行進は、次第に凄愴の気配をおび、チト辛い感じがするほど。とことん突き詰められた夢は、ついに夢それ自体を突き破ってしまう。どんな内容かは、読んでお確かめ願いたい。「タイコたたきの夢」の夢が崩壊したその先には、一体何があるのだろうか。
 最後まで読んで、私は深い溜め息をつかされました。作者は1930年上部シレジア地方(ポーランド)生まれ。執筆当時、東西に分裂していた西ドイツのミュンヘン在住。痛烈な絵本作家が育つ土壌として十分すぎる背景といえる。