武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 モーツアルト・レクイエムのコンサート印象記

toumeioj32005-11-20

 今日、11月20日所沢市民センター ミューズ アークホールにおいて、モーツアルトのレクイエムをメインプログラムにすえたコンサートがあり、聴きに行ってきた。東京交響楽団、指揮はユベール・スダーン、ソプラノは高橋薫子、アルトは小山由美、テノール錦織健、バスは長谷川顕、合唱は所沢モーツァルト合唱団。
 プログラムは全部モーツアルト、なんでも生誕250年を記念する意味が、今回の公演にはあるらしい。調べてみると1756年1月27日がモーツアルトの誕生日、わずか35年間生きて、最後にレクイエムをあたかも自分のためであるかのように作曲して、この世の音楽の道を全速力で駆け抜けていった天才の生涯を思うと、いくつもの「もしかしたら」の妄想と溜め息が出てしまう。モーツアルトが生きたような時代があったのだ。
 今日のプログラムの前半は、①「魔笛」序曲、②交響曲第36番「リンツ」、まずユベール・スダーンさんの指揮に見とれてしまった。指揮棒は持たず、まるで舞台で踊る動きをおさえたモダンダンサーのよう、伸び上がり腕を広げると、小柄に見えた姿が何倍にも広がった様に見える。交響曲36番が、この明るく優雅な曲が27歳の時の作品だから驚く。スターンさんの指揮は、うねりたゆたう緩やかな楽章を、あくまでも優雅に滑らかな流れとして描き出してゆく。リズミカルな踊り上がるところは、切れの良いリズムを刻み、楽しい気持ちに浸らせてくれた。
 20分の休憩を挟んだ後半は「レクイエム」、レクイエムについては死者に捧げる鎮魂のミサ曲と言うぐらいの知識しかないが、オーケストラと合唱を伴う大規模な演奏会用音楽として聞いた。合唱は、3月に編成され練習をつんできた所沢モーツアルト合唱団約180名、4名のソロイストを迎え、人間の声が立派な楽器であることを迫力いっぱいに示してくれた。モーツアルトのレクイエムに関しては面白い話がいっぱい残っているが、それはさておいて、スターンさんの指揮、モーツアルト特有の美しいメロディーが流れるところは見事なまでに美しく、神の怒りの部分はほとばしるような感情の高まりをみせ、永久の眠りについた死者さえ眼を覚ましそうなほど、カソリックの人間臭い神に捧げる死者の音楽をたっぷり楽しませてもらった。ユベール・スダーンさんの指揮した音楽をほかでも聴いてみたくなった。