武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ベルティーニとケルン放送響のマーラー交響曲全集


居住している地区の図書館のCDライブラリーにベルティーニマーラー交響曲全集があることに気付き、さっそく借りてきて聴いている。明るい響きのする音がとても聴きやすくどの演奏も非常に美しかったので、80年代後半から90年代初めにかけてのいささか古い録音だが、良いものは良いと言うことでお勧めしたい。
音楽はどんなに気に入った曲でも、繰り返し聴いていると必ずと言っていいほど飽きてくる。街の至る所から聞こえてきていたようなヒット曲も、いつの間にか聴かれなくなってしまうから不思議だ。あまり何回も繰り返して聴いていると、良かった曲が、いつの間にか耳について苦痛にすらなってしまう。ところで、最近は私的には、これまであまり聴いてこなかった生粋の古典派の巨峰、パパ・ハイドンをよく聴いている。
そのせいかもしれないが、聞き飽きてしばらく遠ざかっていたマーラーベルティーニの録音で、マーラーを聴き始めた頃のような、新鮮な感じで蘇ってきた。これは嬉しい。聴いていて気付いたことを拾ってみよう。
①ケルン放送交響楽団の演奏技術と音楽する姿勢が素晴らしい。弦楽器の響きが明るくて軽快、切れが良い。録音も良いのだろうが音に艶やかな透明感がある。マーラーが好んで多用する金管楽器群の響きも、堅くもなく柔らかくもなく、弦楽器とのバランスが絶妙、ヘッドホンでいつまでも聴いていられる感じがする。音のダイナミックレンジに節度がある。ベルティーニが世紀をまたいで、マーラーの録音にケルン交響楽団を起用した理由が分かる。
②指揮者ベルティーニといえば、98年に東京都交響楽団音楽監督に就任、2000年から都響マーラーチクルスに取り組んだことでお馴染み、2005年に亡くなったことは記憶に新しい。
指揮の細部についてはよく分からないが、この人のマーラーは節度があり、バランスが良く、どの部分をとっても響きが透明で美しい。一つ一つの音が、ほかの楽器の音に紛れることなく、キチンと固有の音として響いてくる。マーラーの演奏に込められがちなどこか過剰なもの、思い入れがもたらす崩れのようなもの、そんな世紀末的な情念から意識的に距離を取っている冷めた眼のようなものを感じる。疲れない明晰なマーラー演奏と言えばいいか。
マーラーなんて難しそうで、長い曲はしんどいと思っておられるクラシック初心者の方にこそ、疲れさせない響きの美しい軽快なマーラーとして是非お勧めしたい。