武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『西洋音楽史−「クラシック」の黄昏』岡田曉生著(中公新書)

toumeioj32005-12-25

 歴史の本を読む喜びは、これまで自分の中にあった歴史認識を新たな事実や方法で書き換えることにあるような気がする。勿論、薄れ掛けていた知識を窓ガラスを磨いて視界を鮮明にするように、新鮮に甦らせるもらうのも、歴史書を紐解く喜びといえる。歴史教科書が読み物としてつまらないのは、当然とはいえ、教科書の宿命として、認識を更新することに重きを置いていないせいかもしれない。
 さて、本書「西洋音楽史」は、私にとっては、何冊か読んだ教科書的なこれまでの西洋音楽史を全部あわせたより以上の、音楽史を知る喜びに満ちた書物だった。新書版でわずか230ページ、片手で持って電車の中でつり革につかまりながら、楽しくクラシック音楽への新たな展望を切り開いてもらった。手持ちの埃をかむり始めたCDを埃をはらってもう一度聴きなおしてみようかという気にさせるほど、知的興奮をもたらしてくれる本だった。
 ①どの時代であろうと、過剰に詳細すぎる記述が一切なかった。書き手にとって、詳しく書きたいという誘惑をこのようにストイックに抑えきれるということは、大事な才能に違いない。通史を書く際に必要な心構えがしっかりと自覚されていて、記述に時代と時代をつなぐ流れができている。しかも、読みやすい。時間があれば、一気読みしてみると一番楽しく読めるかもしれない。私は、時間の都合で切れ切れに読んだが、十分以上に楽しかった。
 ②書き方だけではない。音楽史の先生らしく、随所に独創的な歴史解釈が散りばめられていて、眼の覚めるような指摘がふんだんに惜しげもなく書き込まれている。新しい視点で書かれた歴史は、かつて知った知識の再現であっても、初めて見るように新鮮さで甦ることがある。私にとっては、ページをめくるたびにそんな印象が立ち上がり、とても楽しい時間を与えてもらった。ベートーベンやモーツアルトのイメージが新しくなったわけではない。そうではなくてベートーベンやモーツアルトを含む西洋音楽の流れが、新鮮な音をたてて色鮮やかな像を結んでくれたといったらいいか。音楽室の壁に貼ってある音楽家の写真が、生き生きと動き出すような感じと言ったらいいか、新書版の歴史物の理想的な一冊になったような気がする。
 ③18世紀から20世紀初頭までの200年ほどを、西洋音楽史としてまとめてしまう岡田さんの考え方、21世紀初頭の今日にして可能になった視点だと思うが、無理がなくて非常に受け入れやすい。王侯貴族から知的ブルジョアをへて一般大衆へと受容層を拡大してきた西洋音楽が、20世紀の初頭をもって一区切りを迎えたという考え方が最大のポイント。
 ④現代を名演奏時代が行き詰まりつつある時代とする指摘も、頷ける指摘。それを現代の精神的危機の兆候とする点も頷ける気がする。
 ⑤前書きに出てくる「適切な聴き方」の議論も面白かった。最近、大学の先生の中に研究だけでなく、教育者として教え方に工夫を凝らし、如何にして学生(読者)の興味関心を刺激して、興味深く伝えるか独創的な工夫をしてあるものがでてきた。この本もそんな面白い講義から生まれた1冊。この先生の本、他にも読んでみたい気がした。とにかく読みやすくて面白い。
 クラシック音楽がなんとなく気になる方、お勧めの1冊です。最後に、内容を一覧する意味で目次を引用する。

第1章 謎めいた中世音楽
第2章 ルネサンスと「音楽」の始まり
第3章 バロック―既視感と違和感
第4章 ウィーン古典派と啓蒙のユートピア
第5章 ロマン派音楽の偉大さと矛盾
第6章 爛熟と崩壊―世紀転換期から第一次世界大戦
第7章 二〇世紀に何が起きたのか

 随所に、このところもっと詳しく展開して欲しいのに、と感じたところが多かった。西洋音楽史の総論を本書にして、著者得意の時代の各論を今後に期待したい。