武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『希望格差社会』山口昌弘著(発行筑摩書房)

toumeioj32006-08-04

 以前に同じ著者の「パラサイト・シングルの時代」を読み、時代の流れを敏感に読み解く著者の家族社会学者としての手腕に感心したことがある。本書は、家族という切り口から現代社会を論じてきた著者の現代社会論のひとつの総括的仕事という印象を受けた。
 1990年代以降を新たな現代社会として把握しようとしている著者の試みに、納得できるデータが多いように思われる。この時代を<リスク化>と<二極化>という二つのキーワードで特徴付ける現状分析に無理なく納得させられた。このキーワードをまとめる重要な概念として<不安定化>というとらえ方を示し、戦後社会を高度成長からバブル崩壊までを<安定社会>と把握、それ以降の現代を不安定化社会と特徴付ける手続きにも大筋で納得できる。
 <不安定化>する現状を、①職業の不安定化、②家族の不安的化、③教育の不安的化、の3つの角度から詳細に跡付けるくだりはなかなか説得力がある。だが、よく考えると、これらが不安定化する背景にある生産関係の不安定化、世界市場の構造的な不安定化があると思うが、社会学ではそのような視点をとらないのか、背後の原因となっている世界構造にまで話は広がらない。それがかえって良いのか、本書の記述自体は良くまとまっている。
 これらの<不安定化>がもたらす社会現象として、特に1998年以降をとらえる言葉として<希望の喪失>なるキーワードを提出する。パラサイト・シングルやフリーター、3万人自殺社会などの社会現象を、<希望の喪失>でまとめようとする。確かに、この国の今が希望に溢れた社会だなどと誰も思わないに違いないので、言いえて妙、うまいネーミングだと思うが、一気に余りに大きな風呂敷に包まれてしまいとまどう気持ちが半分残ってしまった。
 <希望>や<絶望>という言葉で何かを語ろうとすることの胡散臭さに、いささか麻痺している人生経験者としてはこのまとめ方には、半分の疑問を抱かざるを得ない。生きるということは、いつでも相当に過酷なことだったし戦後時代が過酷でなかったとも思わないし、これからの時代も意味合いは違ってもきっと過酷なことだろう。
 この本は、そんなことをいろいろと考えるきっかけになった。これから、どう生きたらいいか考えるために若い人に一読をお薦めしたい。
 最後に本書の目次を引用しておこう。

1 不安定化する社会の中で
2 リスク化する日本社会―現代のリスクの特徴
3 二極化する日本社会―引き裂かれる社会
4 戦後安定社会の構造―安心社会の形成と条件
5 職業の不安定化―ニューエコノミーのもたらすもの
6 家族の不安定化―ライフコースが予測不可能となる
7 教育の不安定化―パイプラインの機能不全
8 希望の喪失―リスクからの逃走
9 いま何ができるのか、すべきなのか