武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『蝶の生活』 シュナック著 岡田朝雄訳(岩波文庫)

toumeioj32006-08-29

 かつて私達の身辺に自然が色濃く残っていた時代、子ども達の中に一定の割合で、昆虫に並外れた興味をもち誰もが昆虫博士として認める子どもがいたものだった。身近な自然がどんどん失われてしまった今、かつてのような昆虫少年は、今もいるのだろうか。この本を読みながら、そんなことをふと思ってしまった。
 この本は、長年にわたって蝶や蛾に深く親しんだ人にしか書けない、蝶と蛾に対する賛歌である。全編が蝶と蛾に対する恋歌とでも言うべき表現で満ち溢れている。読んでいると、著者の対象に捧げる思いに巻き込まれ、うっとりと気持ちよくなり、うれしくなってくる。これは、散文で表現可能な賛美表現の限界ではないかと思えてくる。ファーブルの昆虫記を情熱的なラヴソングに書き換えたら、こうなるのではないかと思えるような文体。
 構成は、前書きの「ささげる言葉」に続いて、本文は三部構成。第一の書は蝶、第二の書は蝶物語、第三の書は蛾、いたって単純、第一と第三の書は、丁寧で叙情的な蝶と蛾の詩的な博物誌、その橋渡しの役割を持つのが第二の三篇の短編。
 この国では何故か蝶を愛好する人は多いが、蛾を嫌う人が多い。この本では、蛾についても蝶と同じ比重で蛾についての賛歌が聴かれるのがうれしい。個人的には、蝶や蛾の幼虫が好きで、素晴らしい色彩を身に着けたものを鑑賞の対象にしないことに憤りを感じてきたが、この著者の宝石を愛ずるような分け隔てのない審美的な眼差しにワクワクし通しだった。思うに蛾=ガ、この音感が、嫌悪感と不快感を発音から誘発のでされるはないか。響きの良い名前にしてあげられないものだろうか。
 蛾の幼虫については、触ってかぶれたりする毒性のあるものは僅かしかいないのだが、何でもかんでも毒虫のように嫌う人が多いのには困ってしまう。
 昆虫が好きな人も苦手な人も、美しい表現が嫌でなかったら是非本書を手にとって欲しい。幸福な数時間が過ごせること請合います。