武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

『臆病者のための株入門』 橘玲著 (文春新書)

 なるほどとわが身を顧みて、うなずくしかない名言に接したので、紹介したい。「リタイアすれば、人はだれでもひとりの投資家として生きていくほかない」。この真実は、定年退職してみないと実感としては分らないかもしれない。働いて収入を得るという、生きてゆくための最大の資産価値(経済学では人的資本というらしい)が限りなくゼロに近くなり、わずかな年金とわずかな貯金とわずかな退職金以外に、頼るすべがなくなったとき、退職者は確かに、ひとりの個人投資家になる以外に道はないというのは、まさにその通り。

 にわか仕立ての個人投資家のほとんどは、金融市場の過酷な試練の波にもまれ、ほとんどの人は遠からず、元手そのものまでも失い、絶望とともに金融市場から疎外される運命にあるという、著者の記述は本当だろう。その冷厳な事実を、これでもかと示してくれるところが、この本の最大の読みどころ。だが、銀行預金や郵便貯金であろうと、わずかな利子に怒りをおぼえようと、お金を預けること自体が広い意味で投資なのだとすれば、退職者は、自分の身を守るための技術として<金融リテラシー>を身につける以外ないだろう。金融リテラシーは退職者の、サバイバル技術というのは本当だ。
 この本の著者は、冷静で明晰、曇りのない金融リテラシーなるものを、本書でわかりやすく展開してくれる。その結論は、「確実に儲かる方法などどこにも存在しない」この一点にあることを、繰り返し述べてくれているところがいい。これほどに動かしがたい真実が、ほかにあるだろうか。
 具体的なサバイバル技術については、本書を読んでもらうしかないが、何冊か読んだ株式や投資の本の中で、この本が一番読みやすく、納得できることが多かったので、老いた投資家になるしかない御同輩の方々には是非おすすめしたい。わずかしか残っていないはずの老後の夢を、大きく飾り立てるようとする世間の迷盲から逃れるためにも、非情な真実は、一服の苦い良薬となる価値がある。
 文章は具体的で読みやすく、スピード感があり、投資に興味のない方でも十分に社会勉強になりそう。内容の概略を示す意味で、簡単に目次を引用しておく。

第1章 株で100万円が100億円になるのはなぜか?
第2章 ホリエモンに学ぶ株式市場
第3章 デイトレードはライフスタイル
第4章 株式投資はどういうゲームか?
第5章 株で富を創造する方法
第6章 経済学的にもっとも正しい投資法
第7章 金融リテラシーが不自由なひとたち
第8章 ど素人のための投資法

 人的資本であることが生きがいのすべてだった人は、リタイアすると生きがいを喪失するので、若いうちから、働くこと以外に生きがいを見つけておくほうが良いということに、深刻に気が付くという点でも、この本は参考になるような気がする。