武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『町のノオト』 笹原常与詩集(発行國文社1958/9/20)

 この詩集は、今から50年前の、限定200部というささやかな出版物だったので、その存在を知って約40年、入手したいと思いつつ果たせなかった、私にとっては幻の詩集だった。最近になって、きまぐれにある日ネット上を検索していて、売りに出ているのを見つけ、少々値が張ったが思い切って購入した。購入先の古書店山形県と遠く、ネットがなければまず入手する機会などには巡り合えなかったに違いない。インターネットの恩恵は、人と人、人と物との出会いを、文字通り世界的にも、時間的にも、限りなく広げてくれて大変ありがたい。

 話はかわって、この笹原常与さんという敬愛する詩人、ご自分の詩集の発行部数をとても少なく限定してしまうので少々困る。これまでに発行された詩集が3冊と、恐ろしいほどに寡作、今回の第1詩集が200部限定、以前に紹介した第2詩集の「井戸」だけは限定なしだがおそらくは500部程度だろうか、いま一つの詩集「假泊港」は限定250部、極々わずかの読者の手に渡ればそれで満足なのか、不特定多数の限りなく多くの読者を期待しないのか、何とも慎ましい。そこに又なんとも言えず魅かれもするのだが、発行された時期を逸してしまうと市場から消えてしまい、入手するのに四苦八苦。http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/20050911
 内容に触れてみよう。この第1詩集、処女作に作家の資質がほぼ出そろうとはよく言われるが、この詩集についてもこの法則は当てはまる。慎ましやかで物静かひっそりと数少ない言葉、振幅もさほど大きくない言葉で紡がれる淡いイメージは、現実の世界の猥雑感を脱ぎ捨てて、透明感を帯びて透きとおり、形而上的と評されるような不思議な世界を描き出す。
 詩集の構成は、次のようになっている。「町の地図」と題された「ノオトⅠ」に7編、「町に伝わる伝説」と題された「ノオトⅡ」に7編、「人人」と題された「ノオトⅢ」に10編、100ページ足らず、僅か24篇のかわいらしい詩集である。
 嶋岡晨さんが後ろに置かれた跋文に書いているように、この詩集の総題は、やはり<聴覚>や<ソルベーグの歌>ではなく、「町のノオト」がふさわしい。と言うのは、目次の構成からも分かるように、この詩集は笹原さんの中に仮構されたある町についての様々な詩的なスケッチを寄せ集めてできているからなのだ。それにしても、何とささやかで静かで空気の澄んだきれいな町であることか。
 「ノオトⅠ」の「町の地図」の詩篇は、<風><道><地層><路><広場><運河><道Ⅱ>の7編。この町は、どの角度から描かれても、悲しみと不安が滲み、薄い空気に包まれて、いつもたそがれているような抒情が流れている。早くも、笹原さんの資質が全開に花開いているとしか言いようがないほど。言葉の使いまわしに、少し不慣れなというかぎこちなさが散見するが、すでに独特の笹原調はほぼ見まがいようもなく出来上がっている。
 「ノオトⅡ」の「町に伝わる伝説」の詩篇は、<黒人霊歌><深夜叢書><ソルベーグの歌><モナ・リザ><ゆめ><白うさぎ>。おそらくここに集められた詩篇は、町を描いたものではない。町に暮らしている人々のものでもない。町に流れ込んでくる風聞、文化、文明の類、その町では、このように受け止められ消化される、と言った程度であろう。この町では、すべてが憂愁の色、悲哀の色調に染められるとでも言いたげな詩が並び、トーンはぶれていない。
 「ノオトⅢ」の「人人」には、おそらくこの町に暮らす人々を描いた詩篇が集められているのだろう。<夕><聴覚><サイレン><妙な晩><夢><消失><無表情な顔><電線><めくら><町のノオト>の10篇の詩篇には、町に住む人々の悲しくも鋭い感覚が、鮮やかに定着されている。

土の底の静寂からはえて おれは
しんとした夏の空の深さの奥に
背筋をのばし
すき透った聴覚をひんやりひらく

 <聴覚>と題され向日葵の副題がついたこの詩篇の第1連、見事に町の中心に屹立する一本のヒマワリを通して描かれる、詩人の感受性の独立宣言。

薄くかすかにふるえていた俺の聴覚は
位置を定めてひらききり
渦巻形をした俺の耳底に
空の深さはそのまましみとおり
鋭い叫びはいっそう鋭く
季節のむこうからきこえてきた

こんなフレーズで締めくくられる<聴覚>一篇は、この詩集に場所を占めたこの寡黙な詩人の、言葉による存在証明とは言えまいか。
 もうひとフレーズ、<夢>という詩から引用してみよう。(夢?夢なんてあるもんか)と書かれた後に出てく苦く鮮明なフレーズ。

どこまで行っても先へ先へ
きりのない路のように
どんなにむきになって走って行っても
ほっとして立ち止まる到達点のない
人生のように
夢は果てしないさわやかな距離だ

笹原さんから漏れ出てくるイメージは、かくのごとく深遠でピリッと苦い。
 笹原さんが20代の半ばだった青年期、すでにかくのごとき抒情の質を確立していたとは、こよなく笹原詩篇を偏愛する一人として、納得できる嬉しい発見だった。古くて大きな図書館の奥にでも、この詩集が残っているのを見つけたら、ぜひ手にとって見てほしい。薄くて小さな詩集だが、吟味して味わいながら読むと、子ども時代を大戦の中で過ごした一人の若者の暗くて眩しい独立宣言の歌が聞こえてくる。