武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『カンディド』 ヴォルテール著 丸山熊雄・新倉俊一訳(筑摩書房・世界文学体系)

 辞書を引いてみると<哲学小説>だとか<18世紀風刺文学の傑作>だとか、いろいろなことが書いてある。現代の感覚で読んでみると、哲学の意味も、風刺の意味もピンとはこない。むしろ、次々に主人公たちに襲いかかる不運と災難が反映している18世紀の時代性と、それらの困難を苦もなく回避してゆく主人公の無類の楽天性の組み合わせと、息もつかせずたたみかけるドタバタした物語のスピード感をこそ楽しむべき物語の原型のような物語。音楽のないオペラの台本を読んでいるような感じと言えばいいか、目まぐるしいばかりに繰り広げられる出来事の連続、何が起きようと決して自分の思想を変えようとしない主人公の楽天性に付き合ってゆくと、次々と襲いかかる悲惨が何でもないことのように感じられて面白い。 (画像はウィキペディアから借用したヴォルテール若いころの肖像画
 主人公が事件に突き動かされて遍歴する旅路が凄い。ブルガリアリスボンブエノスアイレス、エルドラド、フランス、イギリス、ヴェニスコンスタンチノープル、帆船に乗ったり徒歩で移動したりといろいろな移動手段で、次々と各地を遍歴する。遭遇する危難をかわしてゆくので冒険小説の原型とも言えなくはない。ガリバー旅行記の祖形のようなところもある。が、旅行記ではないので風景の描写などほとんどなく、物語は細かいことにこだわらずに大らかに先へと進む。ひとつの場面での話が煮詰まってくる前に次の場面へと話が進む。現代の緻密に書き込まれた物語と比べると、何と風通しのいいこと、大雑把なこと、書くことに戸惑いのない良い時代だったんだなというのが実感。
 主要な登場人物は、少ない。
 ①主人公の青年−カンディド
 ②カンディドの恋人−キュネゴンド
 ③カンディドが傾倒する哲学者−パングロス
 ④カンディドと一時期行動を共にする老婆
 ⑤途中からカンディドと行動を共にする下男のカカンボ
 ⑥カンディドが途中で雇い入れた老学者−マルチン
 主な登場人物はこの6人だが、いずれの人物もカンディドとかかわりを持ったり行動を共にしたり議論したりするが、特徴的な個性をまとっているわけではなく、一定の役割を背負って登場し一時的にカンディドと行動を共にするいわば同伴者、それぞれに複雑な生い立ちの話を背負っており、カンディドの道行きに彩りを添える。個人的には、老婆のエピソードどその有り様が印象強かった。

 小説以前の物語なので、読み進んでいっても、誰に感情移入できるわけでもなく、透明な膜1枚隔てた向こう側で淡々と進行する、テンポの速い絵物語を眺めているような感じ。なぜか、話の展開に推進力があり、長い話ではないので、あれよあれよという感じで最後まで読めてしまう。私は、この話を読んでいる途中で、セリーヌの20世紀の暗黒小説「夜の果ての旅」を思い出していた。セリーヌは、このお話をあの小説を書き出すヒントにしたような気がしてならなかったのだ、そんな事実は全くないのだが。 (画像はミュージカル・キャンディードの国内公演の秀逸なポスター)
 ボルテールの哲学小説と聞くとしり込みしてしまうだろうが、バーンスタインがミュージカル「キャンディード」の原作にした古き良き時代の冒険物語と思えば、気楽に手に取れるような気がする。過度な期待は避けたほうがいいが、面白さだけだけでも読んで損はしない。