武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『神々の山嶺』 夢枕獏著 (発行集英社)


 奥付に97年8月発行とあるので、10年以上前にでた古い本、書店で平積みになっていたのを横目で見ながら、なぜか読まないできてしまった。夢枕獏の物語作家としての力量に感心しながら、これまで何作か読んできたが、延々と続く長い話を途中で投げ出してしまっていた。また、途中で止めてしまいそうな気がして、手に取らないままになっていた。何故、夢枕獏の書く物語があんなに長くなるのか、よく理解できなかったのがその一因。
 この上下2巻、原稿用紙にして1700枚にもなるという長大な山岳小説を思いきって読んでみて、少し夢枕獏の書きたいことが分かるような気がしてきた。この物語なら、長いけれど自信をもってお勧めできる気がした。夢枕獏の長さは、全力投球の遠投のような、すべてを注ぎ込みたい欲求の表れだった。この作家は、納得できるまで書きたい人なのだ。
 この物語を読んでいて、長いことが気にならなかった。抜群のストーリー・テラーの力量を生かして、ミステリーにも冒険小説にもなっていて、いったん読み出しらた、物語の吸引力にすっかり引き込まれてしまう。極めてよくできた娯楽読み物に仕上がっている。山岳小説の枠組みではあるが、山登りが好きでなくでも、十分についてゆける構成になっているので、どなたにでもお勧めできる。この物語の魅力を、いくつか拾いだしてみよう。
 ①この小説の背景が、この国の戦後の山岳にかんするいくつかの有名なエピソードを取り入れることによって、期せずして、この国の戦後の山岳シーンのまとめとなっていること。登場する主要な人物像に、有名な登山家である森田勝や長谷川恒男を彷彿とさせる人物がでてきたり、エヴェレストの登攀史を背景にして、ドラマが組み立てられたりして、エヴェレストをめぐる登山の歴史を物語の下地にしていること。このことで、この物語の構えが非常に大きくなった。
 ②主人公のカメラマン深町誠なる人物の、人生の彷徨と成長の物語として、構成に一本の背骨を通したこと。このことにより、成長の終点で停滞しているようなハードボイルドタッチの物語を超えて、奥行と幅のある人生を暗示する物語の醍醐味が味わえるようになったこと。高い山に登るという山岳小説の単純さが、逆にすっきりとしたストレートな味わいの豊潤な物語となった。これはこの物語の最大の収穫。
 ③二つの小道具<マロリーのカメラ>と<青緑色のトルコ石>、この小道具が物語のつなぎ目で重要な役割を果たす仕掛けになっているが、とても良い効果を発揮している。夢枕獏の物語作者としての力量がこんなところにもよく出ているような気がする。人をひきつけ結び合わせるに十分な小道具を作り出すのは、やさしいことではない。この物語が成功した大事な要素といえよう。
 ④夢枕獏は、物語の興趣を盛り上げる手法の一つとして、文体を意識的の操作することがある。場面によっては、描写による工夫を避けた安易な方法とも見えかねなかったこともあるが、この物語ではストーリ展開との相性も良く、無理なく読めた。総合的な力量が向上したためだろう。夢と幻覚のシーンが不自然ではなくなった。
 ⑤登山には登山の専門用語があるが、その専門用語の使用を最低限におさえて、記述を一般化したのも読みやすくなった理由の一つに挙げられるだろう。厳しい岩登りの場面など、専門用語を使いがちな場面だと思うが、専門用語を抑えた記述が臨場感を盛り上げる。息苦しくなるような緊迫感が素晴らしい。
 ⑥たったひとつ不満だったのは、出てくる3人の女性が、何となく影が薄いこと。3人の女性たちが最後まで男たちに対して受け身の立場から抜け出せず、自ら動きだす主体性を回復しないこと、3人に色っぽさが不足しており花がないこと。現代登山の流れでは、すでに女性も立派な主人公の位置を獲得しているというのに、このことだけはチト残念。
 総合的に見て、非常にスケールの大きな、感動的な山岳小説として、誰にでも安心してお勧めできる、現時点での夢枕獏の最高傑作だろう。