武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 南インドツアー印象記(5)


 この日はコモリン岬から、ウォータークルーズの出発地であるトタパリへの移動日。
 4時半に起きて荷造りをし、5時半からコモリン岬へ日の出を見に行く。暗い中を歩いて行くと、町中でゾロゾロ岬へ向かうインド人の行列に巻き込まれる。この岬の日の出は、国内旅行をするインド人の有名な観光名物らしい。
 1kmほど歩いて岬に着くと、物凄い人出、物売りが出て薄暗がりが人混みでごったがえしていた。 (右の画像は、日の出を見に集まってきたインド人の群衆)
 雲があるらしく水平線からの日の出は拝めなかったが、湧き出るようなインド人の群衆に出会えた。ここまでくると日本人には全く出会わない。ホテルまでの帰りは、オートリキシャという小型3輪になんと8人乗りで帰った。はじめた乗ったが爽快な乗り物だった。

 朝食の後はバスに乗り、長距離移動、昼食に立ち寄ったレストランで、バナナの葉に盛ったカレーを食べたが、バナナの葉をウエットティッシュで拭いたら、ティッシュが黒ずんだのには参った。味は良かった。インド人は逞しい。

 トタパリからのバックウォータークルーズは、水郷地帯をハウスボートで移動、夜は岸辺に船を止め、夜が明けたら再び移動するという豪華でのんびりした船旅。夜になると船員が夕食を作ってくれて船がにわかレストランになる。

 寝室のクーラーが効きすぎて寒く、リモコンがなく温度調節ができないので、コンセントを引き抜いて寝た。風邪をひくかと心配した。(画像は真っ暗になって窓から水郷の街灯が水面に映る様子を写したもの、幻想的な夜景の中、小さな虫の音が幽かに聞こえていた)
 夜が明けると再びハウスボートが動き出し、水郷のあちこちで、水浴び、洗濯、魚釣りなどの水辺の生活が繰り広げられるのを見た。家々はしっかりした作りで、年三毛作の米作りによる豊かな暮らしぶりが反映している。ガイドブックなどには、南は貧しいと書かれているが、これまでのところむしろ安定した暮らしという印象だった。貧富の差が少ないのかもしれない。