武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ダイエットの顛末記(3)


BMI22をめざすシンプルダイエットを始めて3ヶ月が経過した。BMIの数値は23をきり、体重だけは30歳代の値になったが、それ以外は年齢に全く忠実なまま(笑)。10kg体重が減ると散歩していても身体を軽く感じるというのを何とか実感できた。着るものに隙間が出来て少しブカブカしてきた。体調はいつもと変わらず。順調に行けばあと1ヶ月で目標をクリアできそうなところまできた。 (画像は8月の朝晩の体重グラフ、少しずつ確実に減り続けていることが分かる)
10kgというと、あの大きな米袋に相当する重さだ。自分の身体のどこがそんなに減ったのか不思議でならない。恐らく、頭から爪先までの全身至る所から、余計に身につけていた物が脱落していった結果なのだろう。人体は本当に不思議なカラクリ人形だ。
その後に感じたこと、考えたことなどを拾い出してみよう。
①肥満は気付かないうちに歳月をかけて進行するように、ダイエットも歳月をかけてなしとげるしかないということが分かった。40年かけて蓄えた体重を、たった数ヶ月で元に戻そうとするわけだから、歳月をかけると言っても、相当に急激な変化だ。体調を狂わせないように気を付けなければならないのは当然のこと、これ以上の短期間のダイエットが危険なことは何となく分かる。
②たまに里帰りする息子から、ダイエットすると「貫禄がなくなるよ」と指摘された。リタイアして久しいので、貫禄などと言う余計なものも必要なくなったので気にはならないが、ハタと思い当たった。人類は長い間飢えてきたので、太っていると言うことは、豊かで地位が高いということの代名詞だった。<ふくよか>と言う形容詞は、太めであるということと同じこと、貫禄が付いて見えると言うことは、男性にとってマイナスにはならないので、つい体重管理に甘くなったのだろう。そこで奇妙なフレーズを思いついた。「リタイヤはダイエットのチャンス」。退職者がのんびりと体重を減らすのも悪くない。
③ダイエットを3ヶ月続けると、食事制限が一種のライフスタイル化して、量を減らした食事と空腹感にも慣れてしまう。前にも書いたが、食後3時間目あたりからお腹のあたりに空腹感が目覚め始める。間食を一切口にしなければ、空腹感はやがていつの間にか消えてしまう。水やお茶、コーヒーなど砂糖抜きですませれば、喉の渇きはおさまり何の問題もないノープロブレム。3ヶ月間、お菓子売り場に並んでいる沢山の商品と無縁ですごしてきたが、それにも慣れて目を引かなくなった。最近、砂糖にも依存症があるのではないかと言われているが、ダイエットのおかげで大好きだった甘いものにも距離をおくことができるようになった。お菓子への偏愛が克服できるなんて思わぬ収穫だった。
④暑さのせいもあるが、食肉獣のような精悍さが(笑)、身体から抜け落ちたような気もするが、単なる気のせいかもしれない、もともと植物的な方だったではないかと突っ込まれれば一言もない。食物の歴史や栄養の本を見ると、動物性タンパク質の食物としての優秀さは群を抜いていることが再確認される。卵と牛乳は毎日とっているが、肉や魚は控えめにしてきたので、ダイエットが終わったら元に戻そうと考えている。
⑤目標としてきた標準体重BMI22に近くなってきたら、体重の減り方が心なしか緩やかになってきている。余計に身につけていた分が、残り少なくなってきたという意味に解釈して、喜ばしいこと考えるべきだろう。ゆっくりとこれから目標に接近していくとしたら、良い意味での軟着陸体制にはいったと考えていいのかもしれない。来月からは、ダイエットの終わらせ方についても考えてみたい。