武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 朝のワンプレート(19)

 《和風出汁よ、さようなら》
 どんな和風料理の本も、和風料理の基本中の基本として、出汁(だし)をいかにして取るかに触れていないものはない。鰹節、昆布、干し椎茸などを使って、出汁を引くことの大切さをとくとくと語っている。曰く、お吸い物には一番出汁、そして煮物や味噌汁には二番出汁、多くの和風煮物レシピは、その出汁を味のベースとして使っている。
 書いてある通りにやってみると確かに美味しい。だが、その手間のかかることと言ったら、よほど暇があってやる気に溢れている時以外、二度とやってみようとは思わない。かけた気力と労力に見合った味になったとはとても思えない。コストパフォーマンスに欠けるのだ。
 この和風料理の基本である出汁の賞味期限をご存知だろうか。味と微妙な風味を考えると、数時間しか保たないという代物なのだそうだ。中には冷凍保存をすすめている本もあるが、香りは失われてしまうに違いない。この点だけでも、本格的な和風料理は、家庭料理に向かないことがお分かりいただけよう。
 和風の出汁は、コストをかけて大量に料理を作り、お金をいただいて提供する料亭や旅館の調理場で作るもの、言いかえれば、出汁が使われていない和風料理は、お店で食べる料理としては失格と言えるかもしれない。
 私は、和風料理のレシピを見るとき、<出汁>と書いてあるところは、全部飛ばして読むことにしている。<出汁>に関わる記述は、読む必要がないものと決めているのである。味が淋しかったら、市販のめんつゆを薄めて使えばそれで十分である。
 手に入る野菜も魚も肉も、すべてそれ自体が固有の味を含み保っており、その固有の味が相当に美味しい。幽かな甘味であったり、酸味であったり、僅かの苦みや渋味であったり、風味としか言いようのない旨味と口の中に拡がる個性的で新鮮な香り、必要最小限の熱を通して、少量の塩味を加えれば、ほとんどの食材は十分に美味しく味わえるようにできている。わざわざ面倒くさい出汁をひく必要はどこにあろう。私は、出汁を強調する家庭料理本は、それだけで信用しない。それは、暇がたくさんある道楽としての趣味の料理である。毎日台所で食事の支度をすることの何たるかを知らない人に違いない。
 実際の家庭の台所では面倒な出汁抜きで、自信を持って、ほどほどに美味しくて、決して飽きの来ない料理をこつこつと作っていたいものである。 

 前置きはこれくらいにして、朝の献立を紹介してゆこう。今回からは5月の朝食になります。

5月某日の朝食(上) ・味噌汁(ダイコン、ナメコ、油揚げ)・ご飯・カリフラワーの温野菜・青梗菜のおひたし・トマト・蕪の葉のおひたし・蕪の甘酢漬け・ブロッコリーの温野菜・蕗と油揚げの煮物・プレーンオムレツ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳


5月某日の朝食(下) ・味噌汁(ダイコン、ナメコ、ネギ)・ご飯・京菜のおひたし・カリフラワーの温野菜・小松菜のおひたし・蕗と油揚げの煮物・オクラの温野菜・花山葵の浅漬け・トマト・蕪の甘酢漬け・プレーンオムレツ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳