武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 退職者の日々、第2段階へ(5)

 それでは別荘でも競売物件でもない普通の民家の中古物件はどうだろうか。これは千差万別、そのままではとても住めない古いものや、管理状態が悪いのに信じられないほど高値のものまで、なかなか購買意欲をそそられる空き家に出会えない日々が続いた。

 気が付いたことが一つある。住まいを手放すということは、そこで暮らしていたご家族に何らかの事情が発生し、そこに住み続けることができなくなったということであろう。丁寧に細やかに暮らす人もあれば、乱暴に雑然と生活する人もいる。家が住まいの入れ物である。
 空き家には、何故か、以前にそこで暮らしていた人々の、生活の雰囲気がぼんやりとではあるが漂っていることが多い。そんな残り香のようなものが、不幸や悲劇を連想させるケースに遭遇するのは見る側にとっても辛いことだった。
 子育てを控えている若いご夫婦が、割高にもかかわらず新築を求める理由が何だか分かる気がした。
 どんな事情で手放すことになったか、それとなく案内をたのんだ営業の人に聴いてみたこともあった。追い風に乗って幸せに暮らしている人は、あまり家を手放さないのかもしれないという気がした。

 私たちは、老い先そうは長くない退職者の老夫婦である。新築では、住まいのほうが遥かに長生きしてしまう。手持ちの資金も多くないので、割安の中古住宅で十分と考えて探し始めたが、時間ばかりが過ぎてゆく。程度の良い空き家を手に入れて、ささやかな改造を施して、のんびり老後の暮らしが営めればそれで良いのだが、なかなかこれはという空き家には簡単には巡り合えない。もう一つの書庫を求める空き家探しは長期戦になってきた。

 そんなこんなで、思いのほか空き家めぐりに嵌ってしまい、一時期あちらこちらと空き家を探すことが、生活の一部になってしまった。