武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 退職者の日々、乱読からの転換(1)

 10歳ごろから始まった我が生涯の悪癖とも言うべき乱読に、勢いの衰えと言うか、明らかな減速傾向がみえてきた。理由と思われる出来事は、書庫の容量の限界による死蔵図書の増加だけではない。加齢が原因と思われる視力の衰えがある。60代に入った頃から始まったドライアイと、片目ですすみつつある乱視傾向の進行がそれ。

 これらの外からと内からの読書阻害要因のせいで、あれほど楽しみだった乱読に、少しずつブレーキがかかってきたのである。いつかは来るとは思ってはいたものの、やはり来たかという感じだ。何があっても本を読むのを止めようとは思わないが、半世紀続けた乱読という書物との接し方を、そろそろ改めたほうが良いのかなという気がしてきた。

 推測ではあるが、100冊以上うまずたゆまず50年読みふけったとして、それでも僅かに5000冊。まことに人の一生なんて短いものだというのが実感である。仮に年間200冊(そんなにも読める時間は私にはなかった(苦笑)としても、50年で1万冊、なんだその程度かとしんみりしてしまいそうになる。

 勿論、本を読む以外にも楽しいことはたくさんあったけれど、私には読書ほど継続して一途に持続できたことは、食べることと寝ることの他にない。

 実は現役を退職する前後から、新刊書籍にあまり興味を感じなくなっていた。したがって当然のことだけれど、新刊の書店に行く頻度がめっきり減ってしまった。現役の頃、あれほど大好きだったマンモス書店訪問も、ぱったりと途絶えてしまった。輝きに満ちた洪水のような新刊書籍のディスプレイが、神経の疲労感を予感させるようになってきていたのである。

 新刊も古書も、ネットで簡単に検索できて、驚くほど手軽に入手できるようになったせいだとばかり思っていたが、まさか老年期の初期症状だとは思いもよらなかった。

 年をとる事にも、思いがけない発見はある。これからしばらく折に触れて、老年期と読書について、思いつくことを書き記していこう。