武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『谷内六郎の作品・新潮文庫の6冊』谷内六郎著/新潮社発行/1981/07〜1982/5


 4月がいちばん残酷な月なら、11月はいちばん憂鬱な月ではないか、霜月、雪待月とも言う。日没が早くなり日の出が遅くなり夜が長くなる。気温は下がり木枯らしが吹き、どうしても気分は落ち込み老年期を迎えた者にはこの時期の辛さはチト身にこたえる。そんな折、新刊書籍に刺激を求めるよりも、読み慣れて愛着のある蔵書に手が伸びる、かつて味わった心地よい読書体験への回帰。

 谷内六郎1921年〜1981年)の絵と添え書きの文章は、何度も来たことのある至福の領土、いくら蔵書を整理しても、この6冊の文庫本はしぶとく生き残ってきた。
 26年もの長きにわたって週刊新潮の表紙を飾った大量の絵、一目見たら忘れられなくなる印象の強い傑作群。再読なので、覚えている絵、忘れられない添え書きの文章に再会する楽しみに浸る。 
 古井戸のような冷たい深みに沈みこみそうになる萎縮した気分を穏やかに解凍してくれる、それが愉しい。
 時には、これまで見落としていた細部を再発見して、作者の神経の先端にふれ感覚がパチッと弾け小さな覚醒がくる、それが嬉しい。
 何度も訪れたことのある見慣れた絵の世界はノスタルジーそのもの、そこへノスタルジーを愉しみたくて繰り返し踏み込んでゆく、何重にも懐かしい気分が湧き上がってくる、それが何とも心地いい。
 自分の少年期を懐古して、谷口さんのそれとの違いを確かめている、着古した肌着のような親密な時間。

 いろんな読み方が出来る。「谷内六郎展覧会」は<夢>の巻以外、季節で分けて編集してある。今回は発表年月に注意して、初期のスタイル模索時代から、スタイルの発見と確立の時代、スタイルの成熟期へと、時間の流れを意識しながら12ヶ月分を愉しんでみた。新しい発見と気付きがあり堪能した。

 添え書きの文章のシュールで幻想味のある味わいには目を見張る。絵にも和風のシュールさは紛れもないが、文章の幻想性はもっと凄い。春の巻の<雲のチャック>と題された絵に添えられていた文をそっくり引用してみよう。

 曇り空をチャックがジャーッと開けて行きます、丘の西手から上って来た一人の男、レーンコートのチャックを開けると、ジャンパーのチャックを開けて、ワイシャツのチャックをあけチャックのついたポケットからチャックのケースを出すと、ピストルを取出しバート・ランカスター風に身構えました、丘の東手から上って来た一人の男、レーンコートのボタンをはずすと上着のボタンをはずし、ワイシャツのボタンをはずし、ボタンのついたポケットからピストルを出してカーク・ダグラス風に身構えた、それから小一時間丘の上にどのような決闘が行われたか誰一人知るよしもない、ただスミレの咲く草原の上にチヤックの名刺入とボタンの名刺入が落ちていただけです、日本チヤック製造株式会社と日本ボタン製造株式会社の名剌であったことは申上げるまでもありません。


 この国のジャーナリズムを代表する週刊誌の表紙に添えられた文章ですよ。何という超現実主義、私は言葉を失い表紙の絵と自分のズボンの社会の窓のチャックをしばらく交互に眺めてしまいました(笑)ピストルを取出しただなんて(何の象徴かな)(笑)今週も何とかなるさという気になってきませんか。

 と言うような次第で、急ぐ必要もないのでゆっくり1週間ほど谷内六郎の世界に遊び、何とか心穏やかに日々を通過することができました。高度成長期以前のノスタルジーに耽りたい人には特にお勧めです、お試しあれ。