武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「裁判官はなぜ誤るのか」秋山賢三著(岩波新書)  この国の司法制度がはらむ問題点を元裁判官の立場から分かりやすく丁寧に説き起こした目から鱗の問題提起の書、心ある人には是非手に取ってもらいたい本

toumeioj32005-07-06

 最近、友人が関わっている産業廃棄物関連の地裁判決があったが、判決文の内容もさることながら、その判決を結論付ける論理構成の合理性を欠くこと、常識的な大人とは思えないほど杜撰で、驚きあきれ憤慨したことがあった。公判を何度か傍聴した折にも時々居眠り状態になる裁判官を眺めていて、この人たちを信頼して当事者の一生に関わる大事を委ねていいものかどうか、不安に思ったことがある。庶民の普通の感覚からすると、裁判官や裁判所を含む司法制度には訳の分からないことが多いような気がしていた。
 刺激的な題名をもつこの「裁判官はなぜ誤るのか」を読んでみて、疑問に思っていたことが、やはりそうだったのかと思えたり、そんなこともあるのかと思わされたり、いろいろ考えさせられることが多かった。
 本書の構成は、前半と後半の2つの部分からなっている。前半は、第1章「裁判所と裁判官の生活」、第2章「刑事担当の裁判官として」からなり、著者が法律家を目指すことになった学生時代から、裁判官時代の経験と体験を元に、裁判所と裁判官の実情について書かれ、その問題点を制度面から指摘して納得させられる。
 キャリアシステムと言うらしいが、司法の世界しか知らない人が司法の世界の手順によって位階を上り、裁判官になっていく過程が分かりやすく、なるほどと思ったり不安に思ったりした。中でも、裁判官が市民的基本的人権を制限されるようになり、市民的として人間としての成長の機会を失いつつあるという指摘など、もっともだと肯いたことだった。学校を出ただけでは人は成長しない。社会に出てからの市民社会における多様な経験を通して、青年は成熟した豊かな大人に成長する。裁判官達の人間的成長を妨げるような制度だとしたら、そんなに恐ろしいことはない。強大な権力機構の一員である人たちだけに、背筋が寒くなる。残念なことながら権力者は、往々にして人間的に未発達な人格を好み、成熟した大人を煙たがり遠ざける傾向にあるらしい。類は友をよぶということか。しかし、本書にとってはここまでは言わば前置き、次章からの展開が本書の本筋。
 第3章「再審請求を審理するーー徳島ラジオ商殺し事件」、第4章「証拠の評価と裁判官ーー袴田再審請求事件」、第5章「犯罪事実の認定とは何かーー長崎痴漢冤罪事件」。いずれもマスコミで報道され比較的良く知られた事件だが、いずれも警察のあってはならない違法な捜査と検察の判断で裁判にかけられ、さらに理不尽な裁判官の誤審によりとんでもない方向に人生を狂わされた一般市民の悲劇の事件である点が共通している。権力を持つものの誤りが誤りを呼ぶとどんな恐ろしいことが庶民に降りかかるか、読んでいて、慄然となる。記述は明快で、人情味あふれしかも情に流されず、冷静で客観的、法律家の文章のいいところが滲み出た文章といいたい。何故まちがったのか、というその一点に的を絞った記述はミステリーの要約を読むような感じ、スリリングですらある。誤りを犯した当事者達は、これを読んでどんな気がするか、聴いてみたい気になった。
 最後の第6章「裁判官はなぜ誤るか」では、これまでの記述の総括として、誤りに落ち込まないための著者からの提言が整理されて示されている。「職業裁判官に対する十戒」と題する文章など、裁判官以外の公務員や会社員にも通用する戒めではないかと感じた。
 日頃、接する機会のない世界のことなので、読んでいてよく整理された異国の旅行記を読むような新鮮さすら感じた。明快で抑制のよくきいた達意の文章を味わう価値は十分にある。簡単に手に入る本なので是非おすすめしたい。