武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「加曾利隆の50ccバイク日本一周ツーリング」(下巻 西日本編) 加曾利隆著(交通タイムズ社)84年5月初版発行 64日間19000kmの小さいバイクの大きな旅(昨日の続き)

toumeioj32005-07-05

 子どもの頃、最初に乗ったバイクは、あの永遠の名車スーパーカブだった。父親のものだったが、14歳の誕生日を待って免許を取り、始めはふらふらしたがすぐに慣れて、どこまでも走っても疲れない快適さと、自転車には出せないスピード感がたまらなかった。あの頃は勿論ノーヘル、頭に風を受けるのも快感だった。14歳と言えば中学2年生。どこまでも走って行けそうなあの自由な開放感が中学生を虜にしたのは当然だった。以来、痛い転倒を何度経験しようと、中断した時期はあったが、ずっとバイクに乗り続け、現在に至っている。
 84年に思い立って始めた私のオートバイ自炊野宿日本一周は、84年の夏に加曾利さんを真似て東日本を回り、85年に西日本を回る予定で出発したが日数がかかり過ぎて回りきれず、86年に残った西日本をやり直して終了した。3年がかりの大旅行になってしまった。ただし、加曾利さんは時計と反対周りで千葉から太平洋沿いを北上したが、私は逆に糸魚川直江津市)に出て日本海側を北上する逆のコースにした。スタートして1週間ぐらいは、なんて馬鹿なことを始めたんだ、家に帰ろうと、何度も後悔したことを思い出した。
 さて、本の話に戻ろう。この下巻は、第1章が「波濤くだける日本海を走る(東京→京都→下関)となっている。加曾利さんのツーリングは徹底した貧乏ツーリング、宿泊は野宿、私もがんばってみたが、60日中、台風にあったり寒かったりで3日だけ宿に泊まったことを思い出した。試しに、この章の加曾利さんの野宿地を拾い出してみよう。東京発→(南アルプス広河原の河畔休憩所)→(富山湾の松太枝浜)→(能登半島先端のバス停)→(東尋坊展望台下のベンチ)→(琵琶湖の湖畔)→(天橋立の松林の中)→(宍道湖の湖畔)→(谷住郷の禅宗の寺に2泊)→(駅名不明の駅舎の片隅か)この間の走行距離が約3000kn、かかった総費用が1万3000円、78年当時の物価を考えてもこれは驚異的、しかもいい所で温泉につかり美味しいものを時折食べて楽しんで旅をしている。これを読んだら誰だってやってみようという気になりますよ。
 第2章「雄大な風景と古い歴史の世界」(九州一周)13日かけて九州を一周している。走行距離は3200km、かけた費用が1万7千円。
 第3章「日本一周最後のルート(下関→四国→東京)加曾利さんはこのルートにも13日間を使っている。このコースは私の場合3年目に走ったコースだった。人口の多い小都会が多く、工業も発達しており、交通量が多く慣れたせいもあったのか、鼻の穴がすすけたように黒くなり余り楽しくなかった。人のいない野宿場所を見つけるのに苦労して、苦労した割には安眠できず、野宿のつらさがずしりと圧し掛かる日々だった。この経験から私のツーリングはしばらく北の方ばかりとなった。一方、加曾利さんは偉い。十分に楽しんでらくらくと旅している。達人と言わずして何と言おう。
 第4章「日本一周を終えて」と題する総括。走行距離が18981km、経費10万7855円。64日間。ご苦労様でしたと言うしかないでしょう。
 第5章が、「我が青春=オートバイツーリングの原点」アフリカツーリングの話。これは附録のようなもの、なくてもよかったかなという印象をもった。
 これを書くので軽く読み返してみたが、十分にまた楽しめた。いい本は、いつまでたっても良いと感じた。