武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ダイエットの後始末(2)


ダイエットを始めて6か月、BMI22の目標値を4か月で達成、5か月目からダイエットの食事制限を緩め、ダイエットをいかに終わらせるかに取り組み始めた。名付けて<ダイエットの後始末>。10月がその1ヶ月目、11月が2ヶ月目、ダイエットを始めてちょうど半年、体重の減り方がさらに緩やかになり、水平に近くなってきたが、まだ少し体重は減り続けている。 (右のグラフは6月から半年間の体重変化の記録)
体調は年齢相応に気分爽快、身体を動かすのも読書するのもPCに向かって作文するのも、能力が落ちている気はしない。日常生活も順調に推移している。今の傾向に破綻を呼び込むことなく、完全な水平状態にいかに軟着陸させるか、水平状態をいかに維持するか、課題はこの二つ。
ダイエットの後始末として何をしているか、(1)甘い物、お菓子などの甘い物は一切やめたまま、飲み物はすべてノンシュガー。(2)ご飯、パン、麺類などの炭水化物は以前の2/3に減らしたまま、朝食から100%に戻しつつある。(3)魚や肉などの動物性タンパク質は徐々に平常に近づけつつある。(4)野菜類は少量ずつたくさんの種類を食べている。(5)起きた直後と寝る前に体重を計り記録している。(6)運動らしい運動はしないが、毎朝4〜50分の散歩をここ数年継続している。これは運動不足解消のためで、ダイエットとは無関係。BMIの目標値は22〜21に納めること
ダイエットに関連することで気付いたことを書き出してみよう。
①ダイエットの最大の敵は、やはり空腹感だ。今の時代、この国に暮らす人々には食への飢餓感はない。食後一定の時間が経過すると必ず感じる空腹感にどう立ち向かうか、これがポイントだと思う。私がとった作戦はシンプル、食事の時間がくるまで決して何も口にしないこと、適量の水を飲むくらいで、食べ物は少量といえども決して食べないこと。一度だけ、食品売り場で小さな試食品を口にして、空腹感がかき立てられとても辛い思いをした。美味しかったのでもっと食べさせろと胃腸が叫んでいるような感じがした。何も食べない方がどんなに楽なことか。胃腸に時間が来ないと食べないと納得してもらうしかない。本当は脳が出している信号らしい。
空腹感には2種類ある。一つは正規の食事タイムが来たときに「そろそろ食事にしようよ」という合図の空腹感、これは問題ない。もう一つは、食事タイムになっていないのに、「少しお腹が空いたよ、チョット何かないの」という間食を要求する、「小腹空いた」というアレ、この時代どこにでも食べ物があるので、このプチ空腹感が一番手強い。食べないで我慢しながらこの空腹感をよく観察してみると面白い。きっと自分なりの対処法が見つかる。これがダイエットのポイント。
②美味しいという味覚の快楽をどのように位置づけたらいいか。すべてのメディアが美味しいことを良しとして、大衆を美食へ誘導しているが、文明が辿り着いた一種の退廃ではないのか。身体が必要としている養分を適量、食事として補給することは、オカシナことではないだろうが、どんなに美味しいものであっても必要量以上は、食べないでいると、奇異なこととして周囲から浮き上がって目立ってしまう。これが一番困る。この国の食の豊かさは、歴史的にはつい最近の特異な現象なのに。

③食のことを考えると、やはり気になるのは「国連世界食糧計画」の統計、07年〜08年の食料価格高騰の影響で、現在約9億人が飢餓状態に陥っていると言う。我が子が飢えるのは、自分が飢えるのより辛いはず。育ち盛りの子を持つ親の悲しみはいかばかりだろう。今現在「飢餓やそれに関連する病気のために1日平均25000人の子ども達が命を落としている」。この事実を前にして、飽食の行き着く果ての美食とは、ほとんど悪徳に近いと行為と言われても仕方がない。ダイエットと言う行為自体も一種の悪徳ではないだろうか。インド旅行で飢えた子ども達をたくさん見かけた。食料高騰傾向はいったんは納まったと言うが、その影響が時間差をつけて今現れてきているとも聞く。美食について語る前に一度は「世界の飢餓状況」の地図を見ておくべきだろう。そしてサルトルを真似して、飢えた9億の民を前にして、あなたが口にするご馳走の味に何の変化もないだろうか、と言ってみる。9億人の飢えを考えると、過度の飽食は倫理的とは言えない。 (左の画像は国連世界食料計画のサイトからの借用、アフリカが厳しい飢餓にさらされている)
④ダイエットに取り組んでみて、人間の身体は、消化機能をもった一本の管なんだとつくづく思った。口から食べ物を取り入れて、最後に肛門から排泄する、ひとつながりのくねった生きたパイプライン、途中で攪拌したり消化液を混ぜたり、養分を吸収したりして、残った滓を処分する。この生きたパイプにとって<美味しい>と言うことは何を意味するか。パイプの生存にとっての必要と無関係だとすると、生存の条件から独立した文化的概念なんだろうか。外国旅行をしていると気付くことだが、胃腸にしっくりと馴染む感じのする味覚は、生まれ育った地域の食生活に繋がれている。異国の美味は、瞬間的には美味しいが、直ぐに飽きがくる。食べ慣れている食材と調理法に対する親和性とは何なんだろう。食の民族性などという言葉が浮かんできた。
⑤食べ慣れていると言うことから、食のライフスタイル、食習慣のことに思いは行き着く。食材が手に入りやすくて安価で、調理が簡単手間いらず、しかも節度ある美味しさで飽きが来ない食事、栄養のバランスが良くて、肥満に結びつかない食のスタイル。ダイエットの終わらせ方が、肥満のない新しい食のライフスタイルの再構築になるだろう。
⑥ダイエットの為には栄養の知識は役に立たないが、ダイエッタの終わらせ方には、栄養の知識は是非とも必要になる。減量するためには摂取カロリーを減らせばいいし、それしかないが、肥満を防ぎながら健康を維持してゆく栄養の知識は少し複雑にならざるを得ない。