武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 狐の書評の作者山村修名義の全著作(1)

以前に、お気に入りの書評家、匿名書評氏<狐>さんの著書4冊を紹介した。今回は、同じ著者が実名で刊行した7冊の著書についての報告。実は、私が偏愛していたのは匿名の書評家<狐>さんの凝りに凝った文体が繰り広げる切り口鮮やかな書評だったので、実名で書かれたエッセイの類に手を伸ばすのにはチト躊躇った。気に入らなかったらどうしようと。
結論から先に言えば、心配なんて何のその、忽ちこうして頼まれもしないのに紹介の雑文を書く気になってしまった。素晴らしかった。それでは、さっそく行って見よう。まず「もっと、狐の書評」「書評家〈狐〉の読書遺産」「〈狐〉が選んだ入門書」この3冊は書評集だから何の心配もいらなかった。

『もっと、狐の書評』 (ちくま文庫2008/7)これまで刊行された4冊の狐の書評集のセレクションと未収録書評にインタビューを追加、未収録書評のデータを付けたもの。すでの読んだことのあるものがほとんどだが、それでも楽しさは色褪せてはいなかった。毎週の僅か800字前後の小さなスペースに濃縮した読書の喜びが、静かにページの間から溢れ出てくる。改めて狐氏の読書の間口の広さと読みの深さ、文体の切れ味、短文の構成の見事さに感嘆させられた。狐さんの文章を読んでいると、新品のワイパーで曇ったフロント・ガラスの水滴を一拭きぬぐい取ったような、一気に頭の中の視界が広がり、情景の深奥までが見通せるような気がしてくるから不思議である。鮮やかな短評に気持ちよく酩酊できる(感謝・感謝)。

『書評家〈狐〉の読書遺産』 (文春新書2007/1)これは「文庫本を求めて」という連載書評のまとめ、「文學界」で3年間毎月2冊の文庫をまな板に載せて書評したもの。この書評の特徴は、毎回2冊をセットにしていること、2冊の組み合わせと記述のつなぎ方の妙が毎回変化して、読み進めるに従って味わいが豊かになる。1ヶ月分の仕込みと熟成が、週1回の書評とは違う仕上がりを見せて、日刊ゲンダイの書評とは違う味が楽しめる。
見出しをみて、かくも無関係な二冊をどうやって繋げて料理するのか心配しながら読むと、興趣は一層高まり、狐さんの冴えた手並みがさらに際立つ。何としなやかでしたたかな文章のスタイリストなのだろう。
それにしても、狐さんにも好不調があったのだろうか(当たり前か)、本書の3分の2を過ぎた辺りからの筆の冴えが凄い。「筆がまわる」というタイトルそのままに狐さんの筆も熱を帯びて高速回転し始める。この辺りの狐さんの口説き文句で、本に興味を持たない人がいたら、よっぽどの読書嫌いだ。私は狐さんの本への誘惑に弱いので、手に取る候補が増えて非常に困った。
狐さんの書評のどこが凄いのか、それは徹底して狐さん一人の好みによる読みどころの発見にある。大変な好みであることは置くとしても、うっかり読みすごせば意識にすら残らないかもしれない掛け替えのない長所を探し当てることにかけては、狐さんの眼光は例えようがないほど鋭い。私などツボに嵌って何度グラッときてしまったことか。

『〈狐〉が選んだ入門書』 (ちくま新書2006/7)この本のアイディアは本当に嬉しい。実は私も入門書は大好き、しかも入門書の中には、一般に考えられている入門レベルを遙かに超える、レベルの高い入門書があり、そんな入門書に行き当たったときの喜びたるや、躍り上がりたくなるほど。ある分野の奥義を究めた達人が、初心者に一切の手抜きなしに奥義そのものをかみ砕いて丁寧に提示すなんて、究極の教育的営為と言えよう。こんな贅沢な営みが希に成立するのが読書の世界、この企画は素晴らしい。
だが、読んで見て、エッこれって入門書なのと我が目を疑うようなレベルのタイトルがいくつもあり、狐さんの入門書の水準の高さに驚いた。私から見るとそのほとんどは、入門書と呼ばない。中には専門書の中に傑作として位置づけたほうがいいような良書傑作が並んでいる。私の考えている入門レベルが相当に低いのかもしれない(苦笑)。
この本で狐さんが採用した文体は何と「です・ます」調の敬体、もともと丁寧な文章を書く人が、気持ちを込めて敬体を駆使するとどうなるかという好見本、持ち味の切れの良さとしなやかさはそのままに、達意のスタイルが冴え渡る。これ以上読みたい本が増えるのを防ぎようがない。
内容は、言語、文芸、歴史、思想、美術の5分野への、それぞれ5冊の入門書が取りあげられている。入門書というよりも優れた啓蒙書と呼ぶべきではないかと思うが、そんなことは大したことじゃない。それらの本の紹介自体が、読む者の蒙を啓く力を持っている。入門書への類を見ない入門書と言っておこうか。
個人的には、藤井貞和氏の「古典の読み方」と菊地康人氏の「敬語」の紹介が、気に入った。金子光晴の「絶望の精神史」の紹介には蒙を啓かれた。読み人によって気に入るポイントは違うはず、手にとってもらうしかない。
最後の方に<あとがきにかえて>という短文が載っている。日付をみると2006年4月1日となっている。この年の8月に著者は56年の短い生涯を閉じてしまう。合掌。何と素晴らしい贈り物をこの世に残していってくれたことだろう。
この3冊は、狐の書評を読んだことのある人なら、間違いなく楽しめる。狐をもう読めないのかと寂しく思っていたので、狐の書評に再会できたことが何とも嬉しかった。(続く)