武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(38)


《LPレコードの愉しみ》

現住所が手狭になってきたので山荘にかなりの荷物を引っ越した。
溜め込んでしまった蔵書の一部のほかに
処分しきれずに残っていたLPレコードやCDなど。 
なかでもまとまった量になるLPレコードは
今では古くなったメディアではあるが愛着があり
山荘に引っ越したのを契機に再び再生して
若かりし頃に愉しんだ趣味を懐古して遊びはじめた。
(画像は山荘に持ち込んだLPレコード、主にジャズとクラシック、500枚ぐらいあるだろうか、収納してあるラックは自作。)


就職して自分で生活費プラスアルファを稼ぐようになるまで
自分の部屋で音楽を鑑賞するなどという余裕は
親元を離れて上京した貧しい学生にはまったくなかった。
名曲喫茶でクラシック、ジャズ喫茶でジャズを耳にする程度で
切り詰めて捻出したお金のほとんどは書籍の購入にまわしてしまった。
収入と比べるとあの頃の本もレコードもとてつもなく高価だった。
(自室で音楽が聴けない若者は喫茶店に聴きに行くしかなかった)


働き出しても最初は食べてゆくのと本を買うので精一杯、
小型のテレビを買うまでに何年もかかった(苦笑)。
安い再生装置と月一枚のLPが買えるようになるまでに
何年かかったことだろう。
若かった頃は何よりも貧しさとの闘いに明け暮れた。
70年ごろは誰も彼も皆貧しかったので気にもならなかった。


そのような生活の中でやっと手に入れたLPレコードは
宝物のように大切に何度も聴き返し
引越しの度に処分されることもなく少しずつ増えてゆき
やがて重くて嵩張る荷物となった。


今、山荘の一角を占めているLPレコードには
そういう個人生活史に彩られた記憶が染み付いている。
再生装置も、何代目になるのか覚えていない、
CDの時代になっても処分しないで残してあったプレーヤーを持ちこみ
古くなっていたカートリッジ(レコード針)は交換して
LPレコードの埃と汚れはメラミンスポンジに石鹸をつけてジャブジャブ水洗い
乾かして再生してみると意外と透明感のある豊かな音がでてきて
手触り感が嬉しく持ち込んだCDと一緒に愉しんでいる。


アナログがいいかデジタルがいいか判断に苦しむけれど
音楽の楽しみは曲想の展開についてゆくプロセスの比重が大きいので
聴き始めると音質のことは直ぐに気にならなくなってしまう。
優秀な録音のLPの汚れをきれいに取り去ってよみがえる
懐かしい音楽は、昔のノスタルジーの味を加味して膨れ上がり
個人的にはとても豊かな音世界を造りだしてくれる気がする。
しばらくは、LP再生の愉しみに嵌ることになりそう。