武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

自宅からの南方歩行見聞録 

 昨日の散歩は北へ向かったので、今日は7時頃自宅を出て南へ向かう。大きな住宅街なので歩道や車道がある程度快適なように整備されている。街路樹が植わりレンガで歩道が舗装され住宅街の脇の並木道はすこぶる歩きやすい。私は出来る事なら土のままの道を歩くのが好みなのだが、レンガ舗装の道も悪くはない。
 住宅街を抜けるとアメリカ軍の巨大な通信基地。樹木のない広大な草原の所々に奇妙な形のアンテナ群が空に手を広げている。その脇も歩道になっていて歩きやすい。
 さらに南へ足を伸ばしと航空公園に入る。公園に入ってしばらく歩くと車の音が消え、木々に来ている野鳥の鳴き声だけになる。ipodの曲を内田光子シューベルトピアノソナタからチック・コリアのリターン・トウ・フォーエバー(永劫回帰)に切り替える。鋭いエレキピアノが描き出す静かで甘い旋律。CDジャケットのデザインは海面を低空飛行する海鳥だが、私は曲調からいつも夜空を横切るハレー彗星を思い浮かべる。良い気分になって1950mのジョギングコースを辿る。早足で歩くだけなので、走る人が次々と追い越してゆく。このコースを季節の移り代わりを観察する定点観測コースにしている。
 今の航空公園は、草の花の季節が終わり、新緑と樹木の花の季節を迎えている。見栄えはしないが面白い形の地味な花々が、樹木の枝先で咲き誇っている。樹木をひとつの塊としてみると花を付けたそのたたずまいに惹かれるものがある。三島由紀夫の初期の短編「花ざかりの森」の青臭い文体をなぜか思い出した。
 公園のなかに茶室があり、何か催しでもあるのか和服を着飾ったご婦人方を見かけた。一定の年齢を過ぎるとどんなカクテルドレスよりも和服がしっくり似合うようになるのは不思議だ。花盛りの新緑の森、お茶会、和服のご婦人、抹茶のふくよかな黄緑色の泡、降り注ぐ透明なきつい紫外線、開け放たれた和室、襟足の産毛をそよがせる微風。身体の奥に眠る和風の官能を静かに静かに目覚めさせる初夏の香りにつつまれボーっとなった。
 帰り道は、桑田佳祐のアルバム、ロックンロール・ヒーローを大きなボリュームで聴きながら歩いた。いつもながらリズムへの乗りのよさと、歌のうまさに舌を巻きながら調子よく大またで歩いた。
 帰宅は11時。3時間歩いたので、身体の運動欲求が満足したようだ。