武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 エジプト旅行②

 エジプト旅行の初日が、今回の旅行のハイライト、ピラミッドはカイロ市内のギザ地区に集中している。少なくとも観光名所となっている三大ピラミッドは、ギザ地区の狭い範囲の砂漠に密集して存在する。観光バスの車窓から、街並みの上に角錐のてっぺんが見えてくる。まるで背後にそびえる山。

 勇んで側に行って驚愕、何という巨大な圧倒的な存在感、始皇帝の墓でも、仁徳天皇陵でも、同じような感じを受けたが、文明のある段階には巨大な墓を築く王権が存在することの不思議な共通点。農業を基盤にした権力機構の、農閑期を巧みに活用した長期の公共事業。これらの巨大墳墓は、権力の正統性を維持するための、いくつもの政治的理由が複合してできたらしいことがわかってきているが、将来の貴重な観光資源になるとは、誰一人思いもしなかっただろう。(左の画像はピラミッド集中地帯の遠景、市街地側からの風景)
 クフ王のピラミッドの内部へ入ってみたが、噂どおりその狭いこと傾斜のきついこと、必ず筋肉痛になるので湿布薬を持っていくように忠告を受けていたが、その通り。ピラミッドの呪いとは、この筋肉痛のことだったか。通路にはなっているが、人間が通るための道とは思えないほど、狭かった。 (右の画像はクフ王ピラミッドの入り口を側から見上げたところ、あの大きさ、存在感は写真では伝えられない)
 さて、圧倒的な存在感のあるピラミッドは、やはり、いくつもの疑問を見たものに強いるよう。いつ、なぜ、何のために、どうやって、誰が・・・・。何日間か、そんな疑問符が、頭の中に浮遊し続けることになった。 ピラミッドのすぐ近くに一体のスフィンクスがあった。ピラミッドはいくつもあるのに、スフィンクスは一体。私は、スフィンクスもピラミッドと同じようにいくつもあるとばかり、勘違いをしていた。
 午前中にもうひとつ、やはりピラミッドのすぐそばの太陽の船博物館を見学した。
 午後は、メンフィスのラムセス二世の巨像、サッカラの階段状ピラミッド、ダハシュールの屈折ピラミッド、赤ピラミッドなどを見た。
 ピラミッドの風景の背景は、市街地のほうからみれば、いつも砂漠。砂漠のほうから見れば背景は市街地。ピラミッドは、市街地と砂漠の境界にそびえている二つの世界の分け目。現地に立って見て、初めて実感できることは多い。時代の変化とともに、いくつものデザインの違うピラミッド存在したということも、考えてみれば当たり前と納得できる。時代が変われば人も変わるという訳。
 「知っている」という言葉を、実際に見たり体験したりして知っていることと、単に情報として知っていることを、きちんと区別して別の言葉で言い表している外国語がある。ピラミッドの前に立って見て、単なる情報や知識が、大きな音をたてて更新されてゆくのがとても心地よかった。