武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ダンテ神曲地獄篇(上)(下)』 永井豪著 (発行講談社コミッスス)

 この国のマンガ文化の拡大と深化には、本当に目を瞠るものがある。これまでマンガ化が困難ないし不可能と思われていたものを、次々とマンガの原作として生かし、原作とは味わいを異にするのは勿論だが、独自の作品として鑑賞可能なまでに仕上げていることに、ほとほと感心する。最近読んだ永井豪によるダンテの神曲のマンガも、なかなか読みごたえがあったので紹介したい。

 作者永井豪さんの後書きによれば、永井さんがダンテの『神曲』に出会ったのは、ようやく字がよめるようになった子供の頃のことらしい。そこで出会ったのがギュスターヴ・ドレの木版画による神曲、挿絵として使われていたドレの絵に「子供ながらに強烈なインパクトを覚え、魅了されてしまった。」と記されている。
 そのような経緯があってのマンガ化挑戦だったらしく、背景のイメージとして使われているのはまさしくドレの神曲そのもの。一部、ドレの失楽園のイメージも使ったそうだが、全体を通して、ドレの神曲木版画の世界を、ヴェルギリウスとダンテの一行とともに地獄を旅する感じ。ドレの緻密で幻想的な世界に入り込み、そこを旅するロードムービーのマンガ版と言えばいいか、そのアイディアをたっぷり楽しませてもらた。
 さて、気になるのは、やはり、ルネサンスの巨人とはいえダンテもキリスト教文化が生んだ文人、その世界観が今から考えると、当然とはいえ、あまりにもキリスト教的、時折へきへきする場面に出会い苦笑したことだった。以前に買った筑摩の世界文学大系の野上素一訳の神曲を時々チェックしながらの印象を列挙してみよう。
 ①もとより神曲全編は死後の世界、地獄篇はとりわけその死後の世界の、強制収容所のようなところだとつくづく思った。(強制収容所より死者となった人間の廃棄物の最終処分場に近いかもしれない。安定型処分場、管理型処分場、遮断型処分場などどうしようもない人間たちの階層化された最終処分場を地獄と考えたほうがぴったりするのかもしれない。)生の世界による世界観と倫理観によって構造化された階層性が、現世を反映して非常に面白い。ダンテとかかわりのあった人を、いくつもの地獄に叩き込み、そこをダンテが訪問するという設定、対立した敵や苛められた相手に対する最高の意趣返し、書いていてさぞや気分が晴れる思いがしたことだろうと、意地悪く想像してみた。
 ②ここでもやっぱり、物語の原型にあるロードムービーの型、階層化された地獄世界を、傍観者としてではなく、ある時は生命の危機に追い立てられるようにして進んでゆく物語展開、原型的な物語として当時これを読んだ人々が、さぞ楽しんだことだろうと想像した。繰り返し何度読んでも面白いのは、古典の古典たるゆえん。
 ③この時代のキリスト教文化の異教性に感心したこと。イスラム教をはじめ異教徒と無神論者をおもいっきり地獄に叩き込みながら、ギリシャやアジアの異教の神々を地獄の管理人として位置づけ、地獄の階層構造を組み立てていること、このなんともいい加減なご都合主義。見ようによっては今よりもはるかに大らかでのどかな世界の構造。その素朴さは、地獄の過酷さをやわらげ、大いなる救いにすらなっている気がした。現代の一元化した世界資本主義の世界を倫理的に見直して地獄に構造化したらどうなるだろう。
 もう一度、あとがきの永井さんの文を引用しよう。「私は何時ごろからか、ドレの絵の世界を動かして、マンガ化してみたいと思うようになっていた。(略)ダンテの『神曲』を描くなら、偉大な天才画家ドレが築き上げた世界観を、壊すことなく描いてみたい。私は、愛するドレの絵にこだわった。一枚づつ止まりの絵であるドレの絵を、マンガという手法を用いて動かし、物語を展開していくことが可能なのではないか。また、そうではなくては、私が描く意味がないと思う。」この引用からもお分かりいただけるように、このマンガは、神曲をダイレクトに永井豪がマンガ化したものではない。ドレの木版画が描き出した神曲の世界を使い、永井豪の描く主人公が動き回るマンガだということ。
 むしろ、ドレの神曲のマンガ化と言い換えたほうがいいかもしれない。永井豪の意図は成功しただろうか、私は、たっぷりと楽しんだので成功したのは間違いないと思う。余談だが、永井さんが得意とし読者サービスによく使うなまめかしい裸身の女体画が、不思議と地獄絵の中で生彩を放つのを見るのも楽しみのひとつ(失礼)。原作は相当に読みにくいので、手始めにこれを読んでみるのは、悪くないという気がする。憎たらしいと思っている身の回りの人を、どれかの地獄に落としてニンマリ楽しむのもいい。私は世界の有名人を次々と地獄に落とす想像をして楽しい時間を過ごした。是非お試しあれ。