武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『太陽の王ラムセス全5巻』①  クリスチャン・ジャック著 鳥取絹子、山田浩之訳 吉村作治監修 (青山出版社1996/11)


 古代エジプト文明の壮大な時間の流れほど、想像を絶する世界は少ない。今から5000年前の紀元前3000年頃に、すでに国家的規模の広域的な統一をなしとげ、文字のある文明を成立させていた超古代文明、5000年昔の我が日本列島を思い起こすと、遙かな縄文の文字文化以前の薄明の時代だった。3000年以上にわたって興亡を繰り返した、気の遠くなるような古代エジプト史の栄枯盛衰、その一端に潜り込み感触が知りたくて、ここしばらくの間、長編物語の世界にひたっていた。それは創造力のタイムトラベルと言ってもいい実に楽しい読書の旅だった。
 「太陽の王ラムセス」は、各冊2段組で300ページをこえる全5巻の大河小説、紀元前1300年頃の古代エジプト文明でもひときわ栄華をきわめた王様ラムセス2世を主人公にした、波瀾万丈の歴史絵巻。古代エジプト好きのフランスでベストセラーを記録したというのも肯ける手に汗握る歴史活劇、エジプト学で学位を取得した経歴を持つ作者というだけあって、リアルに展開される古代エジプト世界をたっぷり楽しめる。
 第1巻「太陽の王ラムセス」、時は紀元前1300年頃、古代エジプト新王朝時代、セティ1世の次男ラムセスの14歳から23歳までの10年間の物語、セティ1世の安定した治世の中で、厳しくも充実した青年期を過ごすラムセスの日々が、起伏豊かな物語として紡がれる。生涯を豊かに彩る友人達との出会い、骨肉の争いを演じることになる兄シュナルとの確執、ファラオへの就任と父セティの死去など、これからの長い物語の骨格がこの1巻でほぼできあがる。
 ①この1巻目だけは鳥取絹子の翻訳、2巻目からは山田浩之の翻訳に交代するが、翻訳者が交代した変化は訳文から全く感じなかった。全巻を通して、平明で分かりやすく読みやすい日本語になっている。
 ②物語の展開は、伏線の張り巡らせ方が上手く、場面の転換も早く、ストーリー展開にスピード感があり、先へ先へと物語を進める推進力が素晴らしい。娯楽映画を見ているような感じであっという間に物語に溶け込めた。
 ③3000年前の物語を楽しむために、できるだけ登場人物に感情移入して読むつもりだったが、主人公ラムセス以外の登場人物達にも、感情移入しやすい人物設定がしてあり、古代エジプトに時間旅行をしたような楽しみ方が堪能できる。悪役にも感情移入すると、さらに物語りが楽しめます。
 ④貴族の娘イシスとの情熱的な恋愛模様と神殿の巫女ネフェルタリとの精神的な愛の対比が良くできている。全く性格の異なる二人の女性との華やかな愛の共演が、波瀾万丈の物語に、華やかの彩りを添えている。この作者の人物設定は、人物像の対比が特に上手い。主人公ラムセスと宿敵シェナル、王様セティと王妃トーヤ、終生の友達アメニ、セタオー、モーゼ、アーシャの個性的な4人組、長編を支える登場人物の配置と動かし方が実に上手い。
 ⑤この1巻目は、ラムセスの物語の謂わば青春篇、古代エジプトのファラオとしての人間形成の物語、自然科学も人文学も社会学もない時代の世界観は、多神教のアミニズムの世界観、古代エジプトのものの見方にがだんだん慣れてゆくのが面白い。占いや魔術が社会観の原理として機能している様子がうかがえて非常に興味深い。大変な労作と言っていい。

 第2巻「大神殿」では、セティ1世の没後、古代エジプトの王権を23歳で継承したラムセス2世の王としての治世がはじまり、王様としてのさらなる人間形成が語られる。侵略的な軍事国家ヒッタイトとのしのぎを削る外交上のせめぎ合い、実兄シュナルの執拗な陰謀、素早い場面転換を繰り返しながら、いよいよ手に汗握る起伏に富んだドラマが佳境に入って行く。
 面白いのやはり多神教の神殿と宗教組織が、人々の社会生活や経済生活の果たしている基軸的な役割、道徳と自然科学と市場経済の全ての機能に、神殿を中心とする宗教組織がかかわっている不思議な世界、なかなか想像しにくいが、上手く回転すればこんなに効率の良いシステムも珍しいのではないかと思わせる要素もあり、侮れない社会という感じ。
 ラムセスとネフェルタリの王と王妃との不思議な愛のありかたも興味深く、1巻目を読んでいたときより以上に、先が知りたくてどんどんページをめくってしまった。同時進行するたくさんの筋を巧みに織り上げて話を進めて行く著者のストーリーテラーとしての手腕は、いよいよ冴え渡って、読むものを引きつけて放さない。
 ラムセスの相棒の、忠実で獰猛な犬とライオンのペットとしての位置づけも楽しく、陰謀と策略が縦横に工作する物語展開は、出来過ぎと言いたくなるほどに、上手くできている。エジプトを旅行したことのある人には特に是非お勧めしたい。
 古代エジプトの神話体系は凄い。およそ3000年間、古代エジプト文明の世界観から日常生活までの全ての原理として機能したシステムとしての神話体系は、想像を絶するほどに極めて幅広く奥深い。著名な神々の名前をピックアップしただけでも大変な数になる。興味のある方は、以下のURLを一瞥されよ。
エジプト神話http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1