武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

11月第2週に手にした本(7〜13)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。)

◎磯村雅著『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(東京書籍1985/4)*膨大なバッハの音楽作品誕生に焦点をあてた評伝、大半を占める宗教音楽やカンタータに力点を置いているので、これまで分かりにくかったバッハの全体像に肉迫しやすいような気がした。豊富な情報量もさることながら、論旨明快で表情豊かな日本語の表現力が素晴らしく、楽曲解説から豊かなイメージが溢れてきて何とも愉しい読み物。なお、後ろに付けてある<バッハ作品総覧>はジャンル別に全作品に短い解説を付した60ページに及ぶ渾身の力作、バッハフリークならこの部分だけでも購入する価値がある、本文以上の情報量かもしれない。
◎山田兼士著『谷川俊太郎詩学』(思潮社2010/7)*1部の小野十三郎と谷川をつなげて論じた二つの章に意外性があり面白かった。2部と3部の「〜〜の詩学」と題された作品論も、切り口となる観点が巧みで、詩人の特徴を上手に掬いあげていて感心した。読んでいて、より大きな本格的な谷川論のための試論、手探りの素描のような感じを受けた、今後の展開を期待したい。
山下洋輔編『相倉久人の超ジャズ論集/ジャズは死んだか』(音楽出版社2006/4)*60年代から70年代にかけてジャズ評論で健筆をふるい、その後、ジャズは死んだとして一切ジャズについて論じることを止めてしまった相倉久人のジャズエッセイの再刊、長く絶版になっていたので懐かしくて手にした。私が20代の頃、ジャズがあらゆる表現者の霊感を揺さぶるエネルギーに溢れていた。時代を挑発するような推進力に満ちたエネルギッシュなジャズを「ジャズ」と定義するなら、確かに大文字で表記されるような「ジャズ」は死んだのかもしれない。
◎モーリス・パンゲ著/竹内信夫訳『自死の日本史』(筑摩書房1986/5)*自殺論の1冊かと思って手にしたが、意外にも堂々たる日本文化論だった。原書<日本における意志的な死>は、自殺をも包括するより大きな<自死>概念の歴史的展開を意図したもの、取材量の豊富さと、分析の鋭さ、論旨展開の多彩さには、誘惑的な説得力がある。翻訳の日本語も素晴らしい。出色の日本文化論である。自殺肯定論ではないが、そんな誤読の危惧を感じるほどに吸引力がある。
◎キャロル・シュトーダッシャー著/福本麻子訳『悲しみを超えて/愛する人の死から立ち直るために』(創元社2000/8)*死別の悲しみテーマにした本書の特徴は、事故死、自殺、殺人などの死別のタイプ別に具体的に踏み込んで対処法を記述していることと、助け合いの会を成功させるための具体的なガイドラインに踏み込んでいる点である。一般論に終始する類書よりも本書の実践的性格が役に立つ人がいるかもしれない。