武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 7月第1週に手にした本(2〜8)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。

◎金関寿夫編/元永定正絵『動物園の珍しい動物』(書肆山田1981/2)*シリーズ日本のライト・ヴァース2、可笑しくて哀しい、軽妙でいてぴりっと神妙、洒脱なんだけど微かに泥臭い、奇妙な味わいの詩の選集。読む方は気楽だが、こういうものを書こうとするとさぞ大変だろう。
竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは/聞き書きラカン一代』(ちくま文庫1992/8)*映画が大衆娯楽の花形だったサイレント時代から1983年までを、嵐寛からの聞き書きで再構成した名優一代記。京風の話し言葉で綴られる思い出話が映し出す映画の世界と世相が、期せずして近代日本の興味深い風俗史になっている。最後についている詳細な嵐寛寿朗名作劇場は資料として貴重。
◎ジャン・アメリー著/池内紀訳『罪と罰の彼岸』(法政大学出版局1984/9)*ナチの強制収容所を生き延びた思索者の一人の自伝的な思想的エッセイ集。第2章の自らが受けた拷問を契機にした<拷問>の哲学的考察が凄い。拷問が精神に及ぼす破壊作用をここまで掘り下げた記述を他に知らない。
林哲夫著『古本デッサン帳』(青弓社2001/7)*古本にまつわる随想を中心に集めたエッセイ集。少なくとも半世紀以上年月を経た本には、単に古くさいだけではない過ぎ去った時代を感じさせる何かがあり、新刊を読むのと違う時代の手触りがあって独特の味わいがあり個人的には好ましいと思っている。そんな味わいをこよなく大切にしている雰囲気が良い。
◎吉田春生著『安岡章太郎・遁走する表現者』(彩流社1993/10)*この著者の文芸評論の2作目、鋭利な時代の観察者として安岡章太郎に強い関心を持ったことがあるので、その多面性をどのように捉えようとしているか知りたくて手にした。丁寧に繊細に作品を読み解いてゆく手つきが素晴らしい。安岡が描く対象に接近していって、ある種の「わからなさ」にまで行き着いて、そこを描くことできたかどうかを問題にしている点に共感できた。<わからない>ということに<気づく>と言うことは<分かること>そのもの。