武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

(写真は畑で見つけた葱坊主と蜜を吸いにきたミツバチ)

toumeioj32005-05-21

今日は出勤しないので、いつもは自宅から西に向かうのに、北に向かって歩く。公園を周遊する道を一周してから、住宅街を避け畑のわき道を北へ向かう。市街地の混雑を避け車の多い車道を慎重に横切り、農村地帯に入る。この辺りは、狭山丘陵地帯の一角、川がなく水の便が良くないので水田は全くない、一面の畑作地帯。農家の屋敷林のまわりに広大な畑が広がっている。車道から50m離れれば、車の騒音はほとんど聞こえなくなる。鋭い野鳥の鳴き声が飛び交うだけの、平穏な世界となる。
 ipodの曲を、ブランフォード・マルサリスサキソフォンジャズから内田光子モーツアルトピアノ協奏曲に切り替える。内田のp協奏曲の第2楽章アダージョの何と優雅で深沈とした美しさに満ちていること、透き通った悲しみが煌めきながら新緑の葉っぱから零れ落ちてゆくような感じがする。一瞬、野鳥の囀りも、眩しい畑の日差しも感じなくなる。銀色に輝く一本の細い針金が、私の中から伸びて行き、深て暗い地中に吸い込まれて行く。身体の芯がひんやりと冷たくなるような感じ。我に返ると、私は初夏の農道を歩いている。
 手にデジタルカメラを持っているので、気が向くとシャッターをきる。眼にとまった物にうんと近づきマクロのモードで気がついたものだけを、注視するように写す。
 季節は、躑躅の花から薔薇の花へと移り変わりつつあるようだ。農道のいたるところにポツポツと花が植わっている。園芸農家の一面の花々ではなく、ポツリと咲いている畑のお飾りのような花が風景を引き立てている。
 2時間ほど歩いて、クールダウンのつもりでスピードを落とし、日陰を探しながら自宅に向かう。今日も良い散歩ができた。午後の予定に立ち向かう心と身体の準備運動完了。