武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 プロバンス地方からローヌ・アルプ地方へ北上(写真は古代ローマ帝国の水道橋の遺跡ポンデュガールを見上げたところ)

toumeioj32005-08-06

 6:30軽く朝の散歩、ホテルを出て橋を渡り足元の雑草を観察、30分ほどでホテルに帰る。
 9:00ホテルを出発、世界遺産のポン・デュガール(水道橋)ローマの遺跡観光。地形を生かした開発ではなく地形をものともしない強引な開発行為に侵略者の土木工事の発想を感じた。公共事業としての性格、地形や環境を度外視した開発行為の意味するもの。それにしてもヨーロッパはどこに行ってもローマ帝国の遺跡にことかかない。古代ローマ帝国の凄さが、ヨーロッパ文明の文字通りの礎石になっていることを痛感。
 11:00アビニュンに移動し市内観光。サン・ベネセ橋を2箇所から見るが、たいしたことのないただの壊れて仕えなくなった古い橋、その後、法王庁宮殿跡を観光。アビニョン法王庁が置かれていた14世紀ころの法王庁宮殿跡が15000㎡大規模な遺跡となって残っている。ただし内装のすべてが取り払われた空っぽの法王庁の建物のみ想像力で補いながら見るしかない。バチカンを思い出し頭の中で比較。法王や財務長官の部屋の床下に似たような隠し金庫、今のバチカンにもあるかな?。法王庁の巨大な抜け殻。
 昼食後、約300km移動、17:00リヨンに到着。フルビエールの丘の19世紀に立てられたノートルダム・ド・フルビエールバジリカ聖堂を観光(オルガン演奏中、広大な礼拝堂の空間を震わせて音が鳴り響いていた、しばし呆然と聞きほれてしまった)新しい教会なので壁のモザイク画も斬新できれい。丘のテラスからリヨン市内を展望した、河に挟まれた交易と工業の街の様子を一望。(この街で永井荷風が10数ヶ月滞在した、「ふらんす物語」にリヨンが何回も出てくる。その昔わが国の留学生達がマルセイユに到着しパリへ行く途中に立ち寄った中継地点)
 夕食は、15分ほどホテルから歩いた街のレストランで。リヨンの街の夜景を眺めながらぶらぶら歩いてホテルへ。