武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 《うつくしい人生(フランス映画)印象記》

 フランソワ・デュペイロン監督の「うつくしい人生」という映画を、ハイビジョンTVで見た。2時間近い上映時間だったが、起伏に富んだドラマもなく、目を瞠るアクションシーンもなく、ドキドキするラヴシーンもなし、それなのに2時間近く画面に引き付けられた。

 場所はフランスの片田舎。主人公は、豊かとは言えない農家の長男。代々続いてきたと思われる農家が、経営難と狂牛病の影響で、解体の危機に見舞われ、経営主体の父親は、ノイローゼが高じて首吊り自殺してしまう。
 その父親の自殺を契機に、それまでフラフラしていた長男のニコラが、自分の人生を深くリアルに問い直し、地道に農業で生きることを決意、精神的に自立し、農民として生き始める。ストーリをまとめれば、そうなる。
 だが、ニコラを暖かく見守る祖父ノエルの苦悩、痴呆の進行と回復などが、太い伏線として終始えがかれて、物語をふくらませてゆく。<うつくしい人生>が誰にとっての人生かと考えると、このノエル爺さんが影の主人公ではないかと思えるほどの描き方。このノエル爺さんの存在が何とも味がある。
 最後まで自分の人生が見つけられなくて、迷いの中から抜け出せない妹の描き方、自殺により夫をなくした農家の主婦の描き方などに、不満はあるが、ニコラの恋の相手役、マリアのゆったりした大人の女性美も素晴らしい。
 何よりも美しいのは、画面いっぱいに広がるフランスの山間部の豊かな田舎の自然。その風景が、金色を基調にした奥行きのある風景画になってつねに画面を彩る。バルビゾン派のミレーの色調で全編を統一してあると言うこともできるが、私には、フランス古典主義の名手、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの神秘的な色調でまとめあげた映像美のような気がした。収穫を終えた秋の日の最良の夕焼けをベースにしたような色調。不気味なほどに深く美しい自然の圧倒的な美しさに何度息を止めて見入ったことか。

 この映画の撮影はとみると、<テツオ・ナガタ>とある。日系の方のようだが、才能にあふれた見事な仕事というほかない。映画館の大きなスクリーンで見たら、どんなに素晴らしいか、機会があったら是非見てみたい。テツオ・ナガタが作り出した影像美は、この映画の最高の見所。(画像は、テツオ・ナガタ氏のご本人のサイトから借用したポートレイト、表情から才能が溢れるような)
 背後を流れる繊細なミシェル・ポルタルの音楽も素晴らしかった。
 美しい山間地域の自然に包まれ、暖かそうな農家の再生を思わせる画面でこの映画は終わるが、フランスの小規模農業も、決して楽ではないはず。考えようによっては、終始迷い続ける妹や、画面から消えてしまう母親の行方こそ、フランスの現実、リアルな実像なのかも知れない。映画は、理想的なハッピーエンドで幕を閉じるが、夕日を見つめるノエル爺さんの瞳が何を映しているのか気になった。
 いろんな見方ができるいい映画。ある程度、関係がすすんだ恋人同士が、自分たちの行く末を考えたくなった時に、一緒に見ることをお薦めしたい。人生について何事かを考えたくなる傑作。