武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『黄落(こうらく)』佐江衆一著(発行新潮社)

 この小説は95年頃のベストセラー、NHKのテレビドラマとなり、それをもとにした映画も上映されたりしたので、内容を御承知の方も多いと思うけれど、bookoffの105円コーナーで見つけて読んでみたところ、読み手を引き付けて離さない素晴らしく魅力ある読み物、深刻にして滑稽、痛切ながら軽妙、物語としての出来栄えが素晴らしく、楽しみながらいろいろと考えさせられた本なので、未読の方に是非お勧めしたい。

 かなり以前に有吉佐和子の「恍惚の人」がベストセラーになった。あの本は、アルツハイマー老人の介護をテーマにした物語だった。この「黄落」は、介護を受ける方も、介護をする方もともに老人という設定、超高齢化社会にふさわしいテーマと言えばわかりやすい、内容は奥深い。
 介護を受ける被介護者の老人には、80年90年に及ぶ人生があり、その人生には第2次世界大戦という未曽有の体験が内包されており、なおかつ少年期、青年期、壮年期、などの人生経験が横たわっていて、そんな人生が終末期を迎えつつある。その終末期を迎えている高齢の父母を介護している主人公とその妻も、人生に疲れを覚えはじめた初老の二人。少年期に戦争体験があり、戦後のこの国を必死に生き延びてきた人生を背負っている。
 単純に図式化してしまえば、終末期を迎えた老人夫婦を初老期を迎えた老人夫婦が、いかにして厳しい介護の日々を過ごしたかという話だが、筆者の筆の運びが抒情的でありながら生活の細部にわたり緻密で、物語の情景がありありと目に浮かぶ。あえて言うなら、爽やかで瑞々しい描写力、文体も伸びやかで明晰、十分に磨き抜かれた筆運びで物語が展開する。読んでいて気持ちのいい文章に乗せて、相当に深刻で厳しい現実が生き生きと描き出される。
 どんなに凄惨な場面になっても、文章自体がゆるぎなく透明かつ堅固ならば、文体が読む者にとって一つの救いになるという見本のような名文。名外科医の巧みなメスさばきで、どうしようもない最悪患部が切開されてゆくような、そんな不思議な感じですいすい読み続けられるところがいい。家庭内に渦巻く多様な葛藤をこれでもかと、切り開きながら物語は、被介護者の命の終りにむかってぎくしゃくしながら這い進む。
 極私的には、自分自身が終末の段階になったことを自覚しつつ被介護者となり、生きる楽しみのすべてを喪失してしまって自分にも愛想がつきたような場合、どうしたらいいか思いあぐねていたが、この本は、そんな時の素晴らしい意外に簡単な解答例を示してくれていて参考になった。第3章の4段目あたりのそのヒントが示されているので、立ち読みをするなりして読んでみてほしい。賛否両論があると思うが、だれにも迷惑をかけない方法として、意外と実例は多いのではないかという気がする。姨捨でもなく依存でもなくはた迷惑な自殺でもない第四の道とでも言えばいいか。
 「恍惚の人」でもそうだったが、この本でも、随所にユーモアが散りばめられていて、読んでいて何度も笑ってしまった。笑いは解決にはならないが、耐えがたいことを耐えしのぶ力になるということがよくわかる。読んでいて、もっと別のやり方はないのと、何度も思わせながら、この話はこの話として、納得できるし他人事とは思えない部分も数多い。たくさんの読者に迎えられたこと、頷ける。主人公が、反発しながらも妻や老父、老母の心の揺らめきの寄り添っているところがいい。家族の絆だと言ってしまえばそれまでだが、心を添わせることはそんなに容易いことではない。
 介護などまだまだ関係ないと思っている若い人にこそ是非お勧めしたい。