武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『老いを光らせるために』 松永伍一著 (発行大和書房1996/5/30)

 ある調べ物をしていて、松永伍一さんが昨年の春に亡くなられていたことを知り、ショックだった。かつて「日本農民詩史」という類い希な力作を手にして、その粘り強い取材と、執拗な構成力に圧倒されたことを思い出した。再び読む機会はないかもしれないと思いつつ、手放すにしのびず書庫の一角に、今も存在感をしめして残り続けている全5冊。
 亡くなる10年ほど前から、老年期をテーマにしたエッセイを書き出して、まとめた本が何冊も出ていることを知り、遅ればせながら本書を取り寄せて読み出した。一読、松永さん独特の屈折し情念が複合するやや難解な文体がすっかり丸くなり、とても読みやすくなっていることに驚いた。だが、引用の多彩で的確なこと、常に美意識を忘れない論の運び方など、やはり松永さん独特の文章展開は健在だった。
 土俗と宗教と歴史と文学に及ぶ目配りの広さと、着眼点の鋭さは、老年期をあつかったエッセイとして、非常に読み応えのある仕上がりとなっている。構成は、大きく三部に分かれており、一部は、老年期と近づく死といかにして向き合うかというテーマ、辞世の句や遺書をめぐる思索的なエッセイで、一番力がこもっている。
 二部は、老年期をいかに美しく生きるかという、先人の事例を豊富に引用した、力を抜いたやや軽いエッセイ集、三部は、さらに軽く、老年期の養生や服装についての日常的な種々を、いっそう軽いタッチでさらりと書いた洒脱なエッセイ集。後に行くほど軽くなり、奇妙な浮遊感が漂い始めるほどに力が抜けてくる。文体の老化なのか、心境の変化なのか、首をかしげながら読んだが、内容は明快、文意が滞るようなことは最後までなかった。松永さんからの、「良い年の取り方をしようよ」という優しいメッセージとして受け止められる、気持ちの良い読後感が残った。
 老人は、若者のように自然状態では決して美しくはないので、若者以上にオシャレに気をつかう必要があるという指摘は、全くその通り、著者の日頃の実践について紹介してあり、我が身を省みて反省させられた。通勤しなくなったので、暑さ寒さの対策優先になってしまっていたが、オシャレとは暑さ寒さのその向こうにある美意識なんだということに今更ながら気付かされた。感謝の意を込めてご冥福をお祈りしたい。
 古いが、朝日新聞の訃報を見つけたので引用しておこう。

訃報 詩人・作家・評論家の松永伍一さん死去(朝日新聞2008年03月04日)
 詩人で作家、評論などでも活動した松永伍一さんが3日、心不全で死去した。77歳だった。葬儀は近親者で行う。後日、しのぶ会を開く予定。連絡先は東京都台東区浅草橋1の33の6の201の日本子守唄協会(03・3861・9417)。
 57年に福岡県から上京。文学組織に所属せず100余りの作品を残した。「日本農民詩史」で毎日出版文化賞特別賞。長く子守歌の研究も続け、子守唄協会の名誉理事だった。

 最後に、本書の目次を引用しておこう。

Ⅰ 人はかならず死ぬ
 辞世の歌はどんな背景から詠まれたか
 死者を見送るとき人の心は透明になる
 藤原道長一遍上人との臨終の迎え方
 死ぬことと生きることとは一つの流れ
 鴎外・光晴・宣長の遺書をどう読むか
 遺書もときどき改訂されると深くなる
Ⅱ 老いにも彩りがある
 「老いらくの恋」は羨ましい限りだが
 詩の深井戸から老いのこだまを聴こう
 老いたら狂歌のパロディがよく似合う
 勲章や名誉を欲しがるのは老醜である
 老いつつ永遠を測る物差しをもちたい
Ⅲ やり残してはいないか
 健康を保つためにどんな工夫が要るか
 百歳でも現役で生きられる人の気概は
 孫に夢を托するときの温かい生き甲斐
 養生して健康のありがたさに目ざめる
 おしゃれすると心の中の少年が微笑む
 子孫には財産より心の遺産を伝えよう

 老年期の入り口付近にたたずんで、思いを巡らせているような風情があり、老年期後期の深刻な暗い話題はほとんど取り上げられていないことに気がついた。老年期の軽い入門編として、どなたにでも安心してお勧めできる良書に仕上がっています。
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