武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 亡き知人を偲ぶ惜別譜


亡くなった古い友人を偲ぶ集まりがあった。
老年期にさしかかった仲間が集まり
故人の思い出を肴に酒を酌み交わした。
ぼやけてきた記憶を手探りしながら
褐色に色あせた昔話を掘り起こした。


記憶の焦点が合わなくて忘却の淵で溺れかけ
配られた一編の詩を眺めていて
不意に頭の中で微かな閃光が煌めき
40年以上昔の小さな笑顔が振り向いた。
あっ S君 きみの薔薇がよみがえってきたよ。


薄暗くて狭い地下室の隅に若者ら彷徨き
斜め上を見上げる癖のままの私がぼんやり。
きみが書いた(サイゴン発UPI)の呪文が
混乱しはじめたベトナムの硝煙となってたなびき
60年代の世界の感触となって蘇ってくる。

膨張し続ける過密都市のひび割れた舗道で
不意に発情する青年期をもてあまし
拠所となる隠れ家を探しあぐねていると
粘つく舗道に他人の顔を映す血だまり。


書くことが何もなくても
きみが目をつぶって紙面を指さすと
行間からアジアの悲鳴がわきだして
いつの間にか指先に血が滲んだ。
誰もが寝静まった深夜 密かに腐臭を放つ難民船が
音もなく私の頭蓋に漂着してきたりした。


手探りばかりしている近視眼の幻野に
くっきり浮かぶ先祖伝来の飢え紛らわす蜘蛛の糸の子守歌流れ
誰が歌うのか 孤立した休日の日暮れの労働歌が
疲弊した月夜の街にセンチメンタルに転がっていく。
S君 今もきみの兄弟も猥雑な最上河原の迷子となり
言葉にならない唄呟きながら石積みの塔を積み上げているだろうか。


年月と共に、制度も思想も老化して
40年は、まるで他人の戦後史のように遠い。
その遠い靄の向こうから蘇り消えていったS君の幻、
きみがいて仲間達がいたあの蒼の時代は
ここから見ると取り返しがつかないほど仄かに眩しい。
穴ぼこだらけになった私の記憶からはもう
この程度の感興しか湧いてこないので悪しからず、
そして さようならS君 安らかに眠れ。