武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『サン・ジャックへの道』監督:コリーヌ・セロー (05年フランス映画)

 スペインを旅行したことのある方ならご存知だろうが、この映画はフランスから「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」をたどる由緒正しいロードムービー、ロードムービという範疇に分類される映画は少なくないが、この映画はその中でもひときわ燦然と輝く見事な傑作。道をグループでただひたすらに歩くというシンプルな仕掛けの中に、人生の多様な喜怒哀楽を包みこみピリッとした現代文明批評までも加味して、フランス映画らしいウイットに富んだ洒落た出来栄え、きっといい映画を見たという何ともいえない満足感を抱いてエンディングの音楽に聴き浸ることができるはず。
  徒歩旅行に出かける登場人物は9人だが、ストーリの軸になっているのは、亡くなった母親の多額の遺産を相続するために、フランスのル・ピュイからスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの1500kmに及ぶ長大な巡礼路を歩く義務を負った3人の兄弟たちと、たまたまそこに同行する5人の男女とガイドの合計9人。一行のツアー名が「道まかせ」、何が起きるか分かりませんよという暗示か。 (この画像の中の9人が巡礼旅に参加する個性的な人々)
 3人の兄弟たちの個性的な人物設定が面白い。長兄のピエールは、大企業経営と奥さんとの不仲で薬に依存する生活を送る仕事にしか関心のないワーカーホリックの中年ビジネスマン。長女のクララは、我の強い頑固な中年の国語教師、夫が失業中の頑なな中年女性。弟のクロードは、家族から見すてられたホームレス寸前のやる気のないアル中男。最初は、これが兄弟かと疑いたくなるほどバラバラな相互不信の崩壊兄弟。マイナスの価値のみを背負いこんできたようなこの3人兄弟が、巡礼路を歩きながら少しずつ人間性を回復し互いに互いに助け合い認め合うようになっていく過程が、全体を貫くメインストーリー。母親の遺言の真意はこれだったんだなということがしみじみと飲みこめる仕掛け。
 3人に同行することになるガイドと5人の男女がまた面白い。高校生の女の子エルザとカミーユは、順礼を楽しい山歩きと勘違いして参加したお気楽な二人組。女子高生のカミーユに近づきたくて参加した男子高校生のサイッドはアラブ系移民のイスラム教徒、サイッドにメッカに行けるとだまされて参加したラムジィは失読症で知恵遅れ気味のこれもアラブ系青年。スカーフで頭を包む中年女性のマチルドはガンから回復したばかりの未亡人。ガイドのギイも、途中で子どもが病気にかかるなど全員が何らかの問題を抱えて一行はスタート。

 全員がカソリックの信仰の道の行脚に、全くと言っていいほど非宗教的もしくは非カソリック的な動機をもって参加しているという、何とも不信心なツアーグループ。この様々な思いを抱えた9人がひたすら歩くだけの求道的な修行の道を1500km歩く。この複雑な設定が最初からテンポよく説明的にならないように描かれるその手腕がまず見事。物語は一気にロードムービーの展開へとなだれ込む。
 (1)巡礼とは、交通網の未発達な時代の、宗教に名を借りた庶民の観光旅行のことだった。その道を歩いてゆくのだから、まず展開する風景が素晴らしい。長い時代をかけて開かれた巡礼の道は、観光的にもベストの遊歩道、雄大に広がる自然の中で参加者たちは、それぞれに自然に導かれるようにして堅く閉ざされていた現代人の心が解されてゆく。簡単に<癒される>という言葉を多用しているが、その本来の意味が見事に映像として繰り広げられ、見る者を引き付ける。居ながらにして辛い巡礼に参加する気分が味わえるのがミソ。フランスで80万人を動員したらしいがさもありなん。
 (2)単調な歩くだけの旅なので、現代人が身にまとっている不用品の数々が浮き彫りになり、説得力のある文明批評となっている。二日目に人目を避けて不用品を処分する女子高校生とビジネスマンの姿が印象的。携帯が通じる不思議な樹木のまわりで演じられる舞踏会のようなシーンが何とも幻想的で素晴らしい。
 (3)登場人物たちが、睡眠中にみる夢のシーンが、超現実的な映像で不気味。参加者たちが抱える心の闇を描いて、この映画に奥行きを作り出している。
 (4)失読症のラムジィに、フランス語を教えてゆく教師クララの指導過程が面白い。ラムジィが文字が読めるようになってゆくにつれて、9人の旅に一体感がでてくる。9人が歩調を合わせて歩き続けることの意味が、素晴らしい風景の展開とあいまって、自然に納得できるところがいい。背後にながれる音楽が画面の気分を巧みに盛り立てる。順礼の道のコースレイアウトが素晴らしい、世界遺産として評価された理由がよくわかる。
 (5)やがて一行は、フランス領からスペインへと国境を越えるところにたどりつく。3人兄弟は、ガイドから遺産を相続する条件が、スペインとの国境までだったと告げられ、巡礼を続けるかどうかの岐路に立たされる。三者三様に迷うが、9人はスペインに入っても旅を続けることになる。このあたりからの9人の一体感は至福の時。
 (6)会話の中で語られるキリスト教イスラム教の対比が面白い。目的地の聖人サンチャゴはキリスト教徒にとって聖人だが、相手のイスラム教徒にとっては大量のイスラム教徒を殺戮した人殺しだという高校生の会話。この映画、随所にこの種の宗教批判が散りばめられており、なるほどと思わされるエピソードが多い。
 (7)今は亡き3兄弟の母親の幽霊の、何とも嬉しそうな笑顔。肩を組んで自分の人生に再出発してゆく3人を見送る母親の幽霊の後ろ姿。終り近くの印象的な1シーン。
 悲しみを織り交ぜた複雑なラストだが、この映画の後味はやはりハッピーエンドと言っていい。裸のシーンもあるが、家族で見て問題ない。むしろ、一人で見るよりも、親しい人たちと一緒に見ると、この映画の良さを見終わって話し合えるので、もっといいかもしれない。いい映画を見たという感想を共有し合えるに違いない。