武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 川上澄生全集を愉しむ 中央公論社(発行昭和54年)

 11月14日(水)の21:00からのBSiの番組「 ハイビジョンのひととき 私の美術館 - 風となりたや・川上澄生美術館」を見て、急に川上澄生の版画詩を思い出した。奇妙に印象の強い様式化された版画と、素朴な味わいのある詩文。小春日和の陽だまりで、背中に陽を浴びてページをめくってゆくと、自分が老いた猫になったような気がして、心がなごむ。

 ネットを探してみたら、以前に入手したいと思い高価であきらめていた全集が、比較的手ごろな価格で入手できることがわかり、思い切って購入した。川上澄生には、自ら偏愛する世界が決まっており、得意な題材といったらいいか、特定のいくつかのイメージを執拗に追いかけてゆくところが、何とも面白い。子どもがお気に入りの題材を、くり返し描いて遊んでいるような感じ、好きなものを少しずつ角度をかえて描き、そのことに充足しているのに似ている。
 アンリ・ルソーを師と仰ぎ、自らを日曜画家と称して、ひたすら製作に没頭していたという。全集をめくっていて、第7巻目の「時計」という版画文集をみて驚いた。昭和19年の作、20点の珍しく緻密な版画と硬質な文章の組み合わせ、偏愛する各種時計を主題にした何とも趣味的な作品、作品解説によれば、栃木県特高係から非常時にかような趣味的贅沢本の刊行はまかりならぬと呼び出されたが、たまたま特高係長が教え子で、そのとりなしで漸く刊行許可となった、とある。
 国家が総力をあげて進めている戦争の敗色濃厚な昭和19年に、社会情勢とは全く無縁な、いや無縁どころか情勢を無視している姿勢が何とも言えない。否むしろ反戦的ともいえる趣味一筋の版画製作に没頭している作者の生き様が、痛快にすら思える。画像と文章の緊密なつながりからすると、作者のひとつの頂点をなす傑作か。近いうちに実物を見に行きたくなった。
 栃木県に川上澄生の美術館があるの興味のある方は、行って見られるといい。いつかどこかで見たことのある懐かしいノスタルジアに出会えるにちがいない。取りあえずは下記のサイトへどうぞ。
http://www.city.kanuma.tochigi.jp/Kyouiku_a/Kawakami/index_kawakami.htm