武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『山の郵便配達』 彭見明著 大木康訳 (発行集英社2001/03)

 久しぶりに気持ちの良い短編集を読んだな、という気がした。瑞々しい情景描写、人の生き様に踏み込んだ筋立て、語り口滑らかなこと、ストーリーの寓話的な膨らませ方、他の作品をもっと読んでみたいと思わせる出来の良い短編集である。
 特筆すべきなのは、やはり何と言っても日本語への翻訳の良さ、こんなにまろやかで美しい日本語に変換された現代中国文学には、久々にお目にかかった。作中の人物達の名前をカタカナ表記にする翻訳をよく見るが、漢字の名前にカタカナルビを併用したことは、とても有り難かった。漢字は表意文字なので、名前に漢字を使うと、名前を核にしてイメージを組み立てやすくなり、人物像が描きやすくなる。広く真似てもたいたいやり方だ
 6篇の短編が、それぞれに味わいが違うので、一息に読み進まないで、少し間を置きながら読んでいった方がそれぞれの味わいがより楽しめるような気がした。6編にはちゃんと6通りの味付けがしてある。
 一番気に入ったのは、やはり最初に置かれた「山の郵便配達」、視点人物になっている<老人=父>とその<息子>、そして好脇役<茶色の犬>、まったく固有名詞を持たないこの二人と一匹が、湖南省の奥深い山奥を舞台に、郵便配達の仕事の世代交代の三日間を過ごすという、古典的な寓話のようなお話。周囲に展開する鮮やかな太自然の明け暮れと情景描写の美しいこと、3人の道行きが淡々として深い人生の意味を暗示する。
 老人と息子と犬が辿る三日間の道程、一日目には80里(里は中国の単位で約0.5km)の険しくも幽玄で渺々たる雲よりも高い山岳路を行く、宿泊先での美しい若い娘との運命的な出会いと父の回想シーンがなまめかしい。二日目は70里の曲がりくねった渓谷と九の渓流や川を越える山道、老いた父をいたわり背負って川を渡る息子と、冷え切った息子の足を焚き火を焚いて暖める父の優しさ、一つ一つのエピソードが人生の局面を象徴するかのように切々と心を込めて丁寧の語られてゆく。最後の三日目の50里には、もう父は同行せず独り立ちした息子に犬が付き添って、元気に緑の朝靄の中へ飛び出して行き、この瑞々しい宝石のような名品は終わる。
 つぎの「沢国」という作品は、前作以上に作者の情景描写の妙技を堪能できる作品、漁獲量の豊富な美しい湖の畔で繰り広げられる漁を生業とする若い娘と嫂との日常の動作が、耽美的なまでに美しく、叙情的に描かれて、まるで一幅の色彩豊かな風俗画を眺めているような愉悦に満ちた味わいがある。若いと言うことがそれだけでどんなに素晴らしいか、しみじみ伝わってくる。
 「南を避ける」は、一転して、急激な経済成長を続ける現代中国の、どこにでも見られそうな農村地帯の父と娘の一齣、アイロニーに満ちてはいるが、若々しい娘の現代性が救いとなって、暗い印象は感じない。
 「過ぎし日は語らず」は、<私>という一人称による記述だが、主題は私の先生の役にあたる、一世代前の挫折に満ちた老知識人の生涯、湯(タン)という名の先生が残した空っぽの箱の謎といい、文化革命という運命のいたずらに翻弄された知識人の肖像が、印象深く刻まれている。
 「愛情」、この作品にはコミカルな筋立てとで心温まるハッピーエンドのどんでん返しがあり、純愛物の意外性のある成功作となっている。広い中国には、こんな嘘のようなちょっといい話もたくさん転がっているのではと思った。前作の暗さと好対照。
 最後の「振り返って見れば」は、現代中国の男と女のよくありそうな再会とすれ違いの一齣を描いた小品、女性が意外と逞しく、男達に負けずに生きている姿が印象的、この作者には、男には人生の悲哀を、女には苦境をものともしない生きる力を描きこむ傾向が見られるようだ。中国もひょっとしたら女の方に働き者が多く、多くの家庭を実質的に支えているのは女の力なのかもしれないなと言う感想がわいた。
 残念ながら評判になった映画は見ていないが、本の方は力のあるすがすがしい短編集なので、どなたにでもお勧めしたい。


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