武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 12月第2週に手にした本(5〜11)


*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新していきます。
中条省平著『読んでから死ね!現代必読マンガ101』(文藝春秋2003/6)*現在進行形のマンガから遠く隔たって寂しい。せめてガイドブックなどに目を通し、過去完了形の扉に隙間を作っておかなければ。何人かの興味のある漫画家と読みたい漫画が見つかった。長編は場所を取るので、貸本マンガが復活してくれないだろうか。それにしても、この藝のない題名、何とかならなかったのかしら?
◎ジュール・バルベー・ドールヴィイ著/中条省平訳『悪魔のような女たち』(ちくま文庫2002/3)*思い入れたっぷりの装飾過多な文体でこそ紡ぎ出しうる絢爛たる美の世界もあると言うことを堪能できる作品集。本文の扉に添えられたフレーズ「こんな書物をだれに捧げることができようか?」、この言葉が物語の反道徳性を見事に言い表している。ポーの幻想文学が19世紀フランスで見事に熟した蕩ける文学の果実、珠玉の傑作短編集である。子どもが手にするような書物ではない。極めつきの6人の女性の際立った個性と中条氏の翻訳が素晴らしい。
中条省平著『最後のロマン主義者―バルベー・ドールヴィイの小宇宙』(中央公論社1992/9)*バルベー・ドールヴィイの作品鑑賞に比重を掛けたこの国初の評伝、バルベーの謎が解かれるよりも、より一層謎が深まった気がする。全編、バルベーへのオマージュに満ちている。ドルべーファンには必携の書。
三省堂百科辞書編集部編『婦人家庭百科事典(上)(下) 』(ちくま学芸文庫2005/2)*戦前の1937年に発行された時代を色濃く反映した家庭百科事典。冨山房の「日本家庭百科辞彙」と双璧をなす代表的な家庭百科と解説にある。不思議なことに私の周りではいずれも見たことなかった。内容は、ほとんどが今でも通用する事柄が多いが、一部時代と共にどうしようもなく古くなった項目もあり、そこが一番面白い。上下合わせて1800ページ程もある分厚い文庫である。画像に一番古さを感じた。
池澤夏樹著『読書癖1』(みすず書房1991/6)*ずっと気になっていた、現在、4巻まで出ている書評シリーズの1巻目、興奮を抑えたタッチでサラリと紹介しているのが特徴。読みたい本がたくさんみつかって困った。何冊か図書館に予約をいれた。
野崎六助著『捕物帖の百年―歴史の光と影』(彩流社2010/7)*「北米探偵小説論」以降、この著者の大衆文学評論と作家論には随分お世話になった。分析の鋭さと視野の広さから生まれる辛口の記述が気に入っている。「半七捕物帖」から現代までのおよそ100年間の捕物帖文化の通史である。捕物帖という時代小説のスタイルがお好きな方には必携の力作。この国の捕物帖というジャンルの広がりと奥行きがよく分かります。
ナサニエルホーソン著/齋藤昇訳『わが旧牧師館への小径』(平凡社ライブラリー2005/12)*「緋文字」の作者が書いたコンコードの自然随想の名品という紹介を読んで手にした、ソローの森の生活には及ばない。
鴨下信一著『忘れられた名文たち』(文春文庫1997/2)*多様なジャンルの雑文の中から掘り起こした名文集という宣伝に引かれて手にした。よくぞこれだけいろんなところから集めたと感心する文章読本。至る所で引っかかったり立ち止まったり、通読不可能な面白本だった。
◎作者不詳/江藤潔訳『我が輩は蚤である』(富士見ロマン文庫1984/10)*19世紀のロンドンで生まれた奇書、屈託のない大らかな文体で綴られた古典ポルノ、謹厳なヴィクトリア朝後期の影の徒花、ディケンズの死後に狂い咲いた哄笑もののエロチカ。80年代の富士見ロマン文庫には貴重な奇書珍書が集結していた。
中井正一著『中井正一評論集』(岩波文庫1995/6)*著者の代表的なエッセイを6部に分けて収録している。<正しいこと>と<美しいこと>と<実践すること>の3領域のいずれをも大事にしようと考えて、思索を積み重ねた哲学者。難解だがいつ読んでもどこか心引かれるフレーズにきっと出会える文章が並ぶ。図書館のあり方と情報リファレンスについて、もっとも早い時期から考えていた人だった。