武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『小雀物語』 クレア・キップス著 大久保康雄訳 (発行小学館ライブラリー1994/12/20)

 動物ものの作家、小林清之介さんの「スズメの四季」で紹介されていたイギリス人のスズメ飼育記「小雀物語」をbookoffの105円コーナーで見つけ、衝動買いをしてしまった。もともとスズメという身近な野鳥が大好きなので、機会があったら読みたいと思っていた本、読み出したら面白くて、一気に読んだ。
 玄関先に落ちていた丸裸の孵って日の浅いスズメを大事に飼育し、老衰で息絶えるまで、注意深く愛情を込めて育て、生活の伴侶として共に暮らした日々の記録は、期待通りのとても楽しい読み物だった。気がついたことを列挙してみよう。
①著者のキップスさんにとっても、スズメのクラレンスにとっても、二人の出会いは幸運だった。1940年7月1日から1952年8月23日までの12年7週4日の日々は、運命的とでも呼びたくなるほどの幸運に満ちている。飼い主のピアニストであるキップスさんは高齢の独身女性、新しいペットを家族の一員としてむかえる準備が完全に整っていたこと。一方、スズメのクラレンスは孵ったばかりの赤裸、目も開いておらず親身の介護がなければ生きては行けず、最初に見たものを親として認識する習性からすれば、いまだ親がすり込まれていない白紙状態。こういう二人が出会ったことは、やはり極めて幸運だったと言っていい。
②時代は第2次世界大戦の真っ最中、ドイツ軍のイギリス空襲が盛んだった頃の日常生活が混乱状態のロンドン、身寄りがない野鳥とけなげに独身生活をつらぬく老婦人ピアニストの水入らずの生活、二人にとってトラブルがなければ蜜月のような至福の時間が保証されたようなもの。それにしても飼い主のキップスさんの節度ある飼育姿勢に感心する。細やかな観察と適切な対処、スズメの反応も可愛いが、その可愛さを引き出したキップスさんには脱帽、著者の机の上に観察記録と思われるノートが10冊以上あり、この几帳面さが12年もの長寿をきっと支えたのだろう。
③第3章の<音楽生活>が圧巻、老ピアニストと雄スズメの音楽による交流の様子を読んでいると、お互いがお互いの理想の聴き手となり、究極のアドリブ二重奏が交わされいたことが想像される。著者も書いているが、録音が残されていないことがまことに残念、存在すればミリオンセラー間違いないだろうと思ったほど。音楽は種の壁を越える共通言語だということを信じたくなる。
④第4章の<愛の生活>は、若干哀れだった。キップスさんにも、クラレンスにも、春が来て愛の本能が目覚める時、求める本来の相手ではなかったことが、微妙なすれ違いをみせ、ともに孤独な二人が演じる小さな悲劇を感じた。それにしても、種の壁を遙かに超越した二人の仲睦まじい生活を、何と呼べばいいのだろう。理想の伴侶と呼んでも過言ではない。12年間はキップスさんにとってもクラレンスにとっても幸せな年月だったに違いない。
⑤第5章以降の、次第に高齢化し、生き物としての機能が低下してゆくプロセスが哀しい。野生では、瞬時に命を落としていたであろうスズメの老年期が、詳細に記録されていて、この部分だけでも記録としての価値は高いと思った。最後に著者の暖かい手の中で「不意に頭をもたげ」著者に一言呼びかけて死んでゆく臨終場面がなんとも印象的。言葉がなくても十分に分かりあえ通じ合える二人の物語にすっかり魅了された。
 目次を引用しておこう。

自序
第1章 拾い子
第2章 俳優生活
第3章 音楽生活
第4章 愛の生活
第5章 衰弱
第6章 最後の模様
むすび

 コミニュケーションに苦しんでいる動物好きの若い人、心温まる物語りが読みたい人にお勧め。著者が本書の出版をためらった理由に挙げているように、この本を読んで、雛をどこからか手に入れようなどと思わない、自制心のある人だけに勧めたい。
 最後に、スズメ好きにはよくわかる短歌と俳句をどうぞ。


   鳴き交わすこゑ聴きをれば雀らの

   一つ一つが別のこと言ふ        明石海人


   いそがしや昼飯頃の親雀     正岡子規


   小雀の中の一つが親雀      武田青江