武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 竹中英太郎記念館の印象記


 甲府の湯村という所にある挿絵画家、竹中英太郎の作品を展示してある記念館に行ってきた。湯村温泉の住宅街の一角にあるので、車一台がやっと通れるような細い路地の奥の、斜面にひっそりとその記念館は建っていた。館長さんの話では、遺族のお住まいをリフォームして、可能な限りの展示スペースを確保して、現状のようなレイアウトに落ち着いたのだそうだ。こぢんまりとした落ち着いた展示が好印象だった。 (画像は2階の展示、手前が戦後スペース、向こうが昭和初期の戦前のスペース)
 展示用に改装された民家の2階部分が2ブロックに分けられており、片方が戦後の子息竹中労の要請に応えて絵筆をとった頃の作品群、奥の展示は昭和初期の新青年を中心に人気挿絵画家として活躍していた頃の原画群。ガラスケースに展示された資料と、壁面をくまなく埋める原画から異様な迫力が伝わって来る。
 これまで竹中英太郎の作品は、小説の挿絵や本の表紙など、印刷媒体を通してしか見たことがなかったので、想像以上に原画の表現に力強さがあり、しばし言葉を失ってしまった。この人も間接的に挿絵やグラビア印刷などを通して見ていては、その真価がわからない素晴らしい天才表現者の一人。
 特に昭和初期の挿絵画家時代のモノクロ作品は、当時印刷技術も用紙も今より遙かに劣っており、人気があった割にはその真価を知る人は、そんなに多くなかったことと思われる。改めて原画を見ると、時代を超える表現力の強さを実感できる貴重な展示となっている。この記念館をみないで竹中英太觔は語れないとの印象を強くした。

 1階部分は子息竹中労が企画した仕事や、彼の著作を中心に、竹中英太郎が参加して描いたイラストの原画を展示、親子による息のあった共同作品が集められていた。ここでも、やはりメディアを通して見られるものよりも遙かに強い、原画がもつ絵の迫力に感心させられた。 (左の画像は、1階部分の展示、ここにはテーブルと椅子がセットされていて、この日コーヒーをご馳走になった)
 このような個人の業績にひたすら焦点をしぼった展示は、期間限定の展覧会にでは見かけるが、恒常的に展示を続ける施設を最近やっと各地でぽつぽつ見かけるようになってきた。竹中英太郎の画業のように、不幸な誤解のもとに長らく置かれてきた作品群は、早く蒐集して組織的に保存しておかないと、取り返しのつかないことになってしまいかねない。遺族による私的な取り組みのようだが、何らかの公的な援助があってよいような気もした。
 竹中英太郎の画業については、改めて取り上げてみたいが、全く絵の教育を受けたことのない人らしい、聞くところ、スケッチブックを持たず、直に薄く鉛筆書きの下絵を描いて、すぐに実作に取りかかったという。想像力と視覚的な記憶力によって創出された作品なのだろう。よく見ると、作品の至る所に技法上の多様な工夫が凝らされていることがわかる。想像力と記憶力と飽くなき創意工夫、それらが組み合わさって、その独特の妖美の世界が紡ぎ出されたものと思われた。
 場所的にやや不便な所にあるので、参観者も少なく、静かに心ゆくまで鑑賞することができます。江戸川乱歩横溝正史などの挿絵で興味を持たれた方には、是非お勧めしたい。入館料大人300円は安すぎる気もするが・・・。最後に、同記念館のサイトがあるので、興味のある方は以下のURLをクリックを。
竹中英太郎記念館 http://takenaka-kinenkan.jp/