武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『小説葛飾北斎』 小島政二郎著 (発行青樹社1990/11/10、初版発行は光風社1964)


偶然にbookuoffの105円コーナーで手にした本、葛飾北斎の評伝でも伝記でもないので、強いて分類すれば時代小説のジャンルに入るが、スリルやサスペンスで興趣を盛り上げるのがねらいの時代小説でもない。天才画家としての北斎の膨大な画業を梃子にして、絵画論を展開しつつ、芸術家の生涯を自在に小説として展開した物語と言えばいいか。北斎の画業や伝記的事実にこだわらないなら、達者なストーリー展開について行くと良くできた物語を読む楽しみが味わえて、意外に満足したので紹介したい。
小島政二郎の後期の仕事には、『円朝』(63歳頃)という記念碑的な伝記小説の傑作がそびえているが、その系譜に属する作品の一つ。この作者は、還暦を過ぎた頃からの作品の実りが素晴らしい、典型的な晩成型の作家。年譜で確認したところ、この作品は、61年10月から翌年8月まで日本経済新聞に連載されており、67歳頃に執筆されたもの。
さっそく印象に残ったところを拾い出してみよう。
①プロットの前半は、青年期の北斎(時太郎)の画家としての模索期間に、異才写楽を絡ませたこと。写楽の個性的な言動に対比されて北斎の青年期における人物像が浮かび上がってくる仕掛けが面白い。作者の文章展開の技量だろうが、延々と続く絵画表現をめぐる議論が不思議と退屈しないで読める。前半の物語展開の軸になる視点人物が、北斎写楽の二人に交互して効果をあげている。読者はこの二人に感情移入して読めるので興趣は自ずから盛り上がる。
北斎写楽をとりまく女性達の人物造形にふくらみがあり、華やかで生き生きとしていて楽しい。北斎の二人の妻「お砂」「お豊」はもとより、写楽の相手「おかつ」を含む3人の女性の存在感が素晴らしい。時代受けするヒロインによって大衆的な人気を恣にした小島政二郎の前期の実力が、後期にもうまく引き継がれていると言うべきだろう。江戸の女性の色っぽさが上手く出ている。小島政二郎の大衆的人気は女性の造形に基盤があるようだ。
③もう一人地本問屋の蔦屋喜右衛門の商人としての人物造形が新進の画商らしく輪郭が鮮明で良くできている。北斎との対比が鮮明で、この物語に奥行きを作り出している。北斎が時代の人気画家として成長する背景として、蔦屋をしっかりと配置しているところも抜かりない。
④後半の読みどころは、画家として驚異的なほど活躍期間が長く、当時の寿命からみて例外的に長生きした北斎の老年期の課題、晩年の老化との飽くなき戦いが興味深い。作者の小島政二郎自身も100歳まで明治・大正・昭和を生きた人だけに、晩年の北斎の描き方に力がこもっている。広重の登場で、人気に翳りが出るあたり、人気作家の晩年の悲哀が実によく出ている。北斎喝采と共に受け入れた時代が、やがて北斎を残して先へ進んで行くと言う認識には説得力がある。八十代半ばのまだまだ余力のあるところで物語を締めくくっているので、読後感は明るい。
⑤繰り返すが、伝記や評伝ではないので、北斎を知ろうとして読むのではなく、北斎を代役に使った一人の絵描きを主人公にした自由な時代小説として手に取るなら、充分に満足を味わえる後味のいい時代小説としてお勧めしたい。
私は、この作品に出会えたおかげで、作家小島政二郎の作品をもう少し読みたくなった。