武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『ウッシーとの日々』 はた万次郎著 (発行集英社文庫2004/2/25)


 以前、2005年12月8日の日付で、このブログにはた万次郎著「北海道田舎移住日記」の感想を書いた。同書を読んで以来、はたさんの著作には興味を引かれていたが、買うまでには至らなかった。ところが先日、近所のbookoffの105円コーナーで4冊揃いで「ウッシーとの日々」を見つけ、即座に購入した。ハードカバーで出ていたのは知っていたが、文庫でまとめて読めるのがなんとも嬉しい。http://d.hatena.ne.jp/toumeioj3/20051208
 <移住日記>も、読んでいてこちらの気分がほのぼのとしてくる不思議な寛ぎに満ちた文体だったが、こちらのコミックも読み手に伝わって来る雰囲気はよく似ている。北海道の北部、下川町に暮らすマンガ家とウッシーという雑種の犬の日常生活を描いた、いわゆる<田舎暮らし>ものというところは共通している。
 この国の圧倒的に多い都会暮らしの多忙人間からすると、ここに描かれている世界は、ある意味では夢のような田舎暮らしだろう。田舎暮らしを実践している人の話を読んだことがあるが、自給自足的な生活は、実際にやってみると、日常の細々した雑事に追われて意外にも相当に忙しい生活のようだが、この著者の手にかかると、何とものんびりした生活に見えてくるから不思議。こののんびり感がこのコミックの味である。
 はたさんのマンガを見ていると、多くのコマの背景は白、何も描かれていないコマが多い。背景に何を書くか書かないかは、作者の選択の結果であるが、この作者のマンガはきわめて多くの周辺情報をカット省略してできている。面倒だから書く手間を省いているとも取れるが、この作者の場合はこの省略が、作画全体の方法論になっているような気がするのでそこのところを考えてみたい。
 文章でも同じだが、一場面を描き出すために総てを文字化しても意味がない。何を描き何を描かないかの集積で場面の表現は出来上がる。はたさんのマンガでは、まず日常生活の細部にかかわる背景がきれいにカットされている。ウッシーというコミカルな感じのする犬と、だらしな系のマンガ家と、北海道道北の自然以外何もないような風景と日常、そこで営まれるささやかな日々の営みが描かれている。考えようによってはこの表現は、現代では相当に高度なファンタジー、幻想的な風景と言うことが出来るかもしれない。

 素朴なようでいて、少し注意して読むと、相当に工夫した表現構成が見えてくるので、気付いた点を列挙してみよう。
(1)全112話で出来ているが、一話ごとの題が、実に明確に描こうとする話のテーマを要約している。一話ごとに読み終わって題名を見ると、多くの場合「ナルホド」とスッキリ納得できるように描かれている。小説で言うと、一話ごとの読み切り連作短編集といった趣で出来ているのである。一話ごとの主題が明確に焦点化されいるところがこのお話の特徴である。
(2)<ウッシーとの日々>という標題の中に全12話の<はた画伯との日々>と題された犬を主人公に移し替えたような話が挿入されている。視点人物を犬に移動して物語造りをしてあり、いっそうほのぼのとした味わいに拍車がかかる。112話の中にはこうした視点人物の移動を盛り込み、話の奥行きを作る工夫がしてある。
(3)途中からサンルダム建設にかかわる公共事業問題ないしは環境問題が登場、たびたびこの問題を通して地方における水利と治水を巡るダム問題が主人公の生活の周辺に見え隠れするようになる。この問題は、話の中では解決に至らないまでも、物語のサイドストーリーとして、物語をつなげる筋のひとつになっている。ちなみにこの度の政権交代で、このダム工事は凍結された。
(4)ほとんど全ページにおいて、一つの大きなコマと小さな複数のコマとの組み合わせで話が進んで行く。大きなコマでは比較的詳しく周囲の情景が描き出されて、小さなコマがエピソードの展開を表している、この組み合わせである。私はそんな各ページの大きなコマが好きである。素朴な自然に満ちた情景がほのぼのと拡がり、ページをめくる手を止めてしばし絵に見入ってしまう。そんな気持ちのいい情景の中で、小さくコマ割りされて、ささやかなエピソードが動いて行く。単純な繰り返しだが、読み手の気持ちを不思議に和ませる力がそこにある。
(5)全編、いたるところに可愛いらしいギャグが散りばめられているが、ギャグを楽しむためのマンガではない。このマンガの場合、ギャグはほのぼのとした雰囲気を維持するための、表現技法の一つといった方がいいだろう。真面目で向上心に満ちた劇画タッチの流れから身を翻すための身振りなのではないだろうか。あるいは、物事を正面から見つめないための、意識的な<ボケ>表現の方法論だろう。
(6)一つだけ気になったことがある。100話をすぎたあたりから、何だか北海道で暮らす田舎暮らしの話らしくなくなり、何となく一遍のお話の起承転結が整わなくなってくることだ。テーマ自体がささやかなものだけに、作者のネタ切れの苦しみが分かるようでチョット辛くなる。文庫本の4巻目をどう評価するか、人によって意見が分かれるところかもしれない。私としては、3巻まで楽しませてくれたのだから十分という気がしないでもない。
 田舎暮らしにあこがれているが何らなの事情で田舎暮らしが出来ないでいる人、犬と暮らしたいのだが何らかの事情で犬を飼えない犬が好きな人には、是非この本をお薦めしたい。このコミックの中だけでも田舎暮らしと犬のいる暮らしが満喫できます。