武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 インドツアー印象記(4)


 この日最初に行ったのは、数ある世界遺産の中でもとりわけ有名な<観光した世界遺産その6>エローラ石窟寺院群、登録されたのは1番と3番、4番の基準を満たしているからだが、現地を一目見ればその圧倒的な宗教的造形を前にして、出てくるのは驚嘆のため息だけとなり言葉を失う。
 周辺一帯を覆い尽くすデカン高原玄武岩の巨大な岩山の峡谷に築かれた石窟寺院群の景観は、遠くから見ても近寄ってみても、人間の宗教的な営みの重さと大きさを、圧倒的な迫力で開示してくれる希有な文化遺産
 あまりにたくさんの石窟寺院が集積しているので、観光したどれがどれだったか、予習も不十分だったためかなり混乱してしまったが、ガイドブックや撮り溜めた画像を頼りに、見て感じたことを整理してみよう。
 エローラ石窟寺院群の不思議は、3種類の宗教施設がグループごとにまとまっているとはいえ、同じ地域に仲良く同居していることである。信仰という同じ宗教行為のため宗教同士は自らを他から差別化するために、己の存在を掛けて排他的になりやすいものとばかり思ってきたが、これには驚いた。インド的な寛容さの表れなのだろうか。
 3つの宗教とは東側の12の仏教窟群、西側の5つのジャイナ教窟群、そして中間にある16のヒンズー教窟群、合計34の石窟が2kmにわたって連なっている。仏教窟群が作られたのが一番古く5世紀〜7世紀、ヒンズー教窟群は7世紀頃から作られはじめて、ジィナ教窟群は一番新しいとされている。

 最大の見所は、ヒンズー教のカイラーサナータ寺院、これは凄かった。岩山一つを丸々使って掘り出した寺院そのものの彫刻作品だ。世界最大の彫刻作品というのは本当だろう。制作に100年もかかったと言うが、3世代にもわたるこのようなプロジェクトを完成にまでもっていった信仰の営みには嘆息するのみ。呆れてしまって物も言えなくなる。近寄ってみると分かるが、細部の細部まで全く手抜きなしで装飾が施されており、途方もない宗教的な情熱が結晶した作品だということがわかり、鳥肌のたつ思いすらする。 (左の画像の中央部が一つの巨大な彫刻寺院)

 ヒンズー教の石窟の中には漆喰の上に当時の彩色がきれいに残っている物もあり、完成当時のきらびやかな色彩を想像する手がかりになる。
 ジャイナ教窟群は、残念ながら遠くて行けなかったが、仏教群とヒンズー教群だけでも十分に見応えがあった。

 昼食の後に訪れたビビカマクバラ廟は小型のタージマハール、美しい庭園を周囲に配したまとまりのいい美しい霊廟だった。

 この日最後に訪れたのは、オーランガバード石窟群、すべて仏教石窟、全部で17窟あり代表的な物だけを観光した。第7窟には大きな釈迦涅槃像が横たわっていた。ノミと槌だけで岩山をもくりぬく途方もない宗教的情熱を何と言えばいいのか。 (ここも左の画像のような岩山を刳りぬいて作られて石窟寺院)