武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 5月第4週に手にした本(21〜27)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。

◎スティーヴン・カーン著/高山宏訳『視線』(研究社2000/10)*近代絵画に描かれた人物たちの視線がもつ意味を糸口に、絵画を生み出した背景を様々に分析する視線による文化史。近代絵画の人物画が描く視線に隠された意味の多様性について考えさせられた。
佐藤慶女著『「おじいさんの台所」の死』(文春文庫1993/4)*以前に「おじいさんの台所」を読み、明治男の不器用さと逞しさにリアルに触れた思いをした。本書は、その人物の最晩年の記録である。地域社会に暮らしていて、折に触れて後期高齢者の<尊厳>と<傲慢>が紙一重であることの不条理、対応の難しさに悩ましさを感じていたので、本書の主人公の老衰のプロセスが身に沁みる。
◎中山時子訳『中国名菜譜/北方編』(柴田書店1972/10)*現代中国料理書の基本図書として定評のある全4巻が、発行から40年を経た今、定価の1割程度で入手出来た。料理の説明の詳しさに大きなバラツキはあるものの、図譜が少なくても材料についてと作り方について概要が分かるよう具体的に説明してあり分かりやすい。本書は、原書全11巻のうち北方系の4巻分をまとめたもの、巻ごとに若干編集方針が変わるようだが、どの巻も読みやすい。翻訳が丁寧でスッキリしていて、漢文口調が完全に払拭されているところが気に入っている。古いレシピのせいか、ほとんどすべての料理の材料に科学調味料の使用量が指示されているのにはガックリ。分量は一卓分(8人分)で書かれている、レシピとして使うときは注意が必要。日本では入手不可能な食材が多い。味の原風景の違いを痛感した。
丸元淑生著『地方色』(文藝春秋1990/3)*料理研究家として知られた故丸元さんの随筆集、料理に関する短文が多いが、紀行文あり、文芸批評ありの多彩な雑文集。料理研究家以前に優れた文章家として、文体に磨きをかけていた青年期が、丸元さんの世界を形作ったことが分かる。料理は生業、心は文芸にあった人。
石子順造著『ラクタ百科/身辺のことばとそのイメージ』(平凡社1978/11)*月刊百科に本書のシリーズを連載中に、著者は亡くなられた。死による中断がなければさらに敷延したかった連載だったろう。大衆的・民衆的であるモノの記憶を彩ったり感覚を引きつけたりする要素を、具体的なビジュアルとしてとらえ、文章化する試みが何ともいかがわしくて愉しかった。ガラクタを集めてみると、単品には感じないガラクタ達が共同で醸し出す雰囲気があることが分かる。集めるとガラクタとしての意味を越えて、異質な何者かに変貌するところが面白い。
奥本大三郎著『虫の宇宙誌』(集英社文庫1984/6)*完訳ファーブル昆虫記に個人訳で挑戦中の著者だけれど、全10巻の8巻目の下巻の発行が体調の都合で延び延びになっているので、陰ながら心配している。本書は、81年に青土社からでた単行本を文庫化したもの。単行本で読んで感心したが、本としては本書はそれ以上、構成・レイアウトに当たった三村淳さんと松林あき子さんのお手柄だろう、多数の図版が視覚的に蘇り、古い精緻な図鑑を見ているような愉しさが加わり、明晰な文体とマニアックな知識が織りなす読書の楽しみが倍加した。もはや単行本を手にする機会は、私的にはなくなった。時々、こうした文庫になって書物の価値が飛躍的に高まる場合がある、これはその好例。