武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

戦前の名翻訳者/佐々木直次郎の仕事(01)


 戦前のポオ翻訳者、佐々木直次郎の翻訳にひかれている。他にもディケンズやスティーブンスンなどの格調高い翻訳でも知られている人だが、その翻訳者本人については次第に忘れられた存在になろうとしている。Wikipediaで検索しても、以下のような記述しか出てこない。

佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年3月27日 - 1943年5月24日)は、日本の翻訳家。石川県金沢市出身。エドガー・アラン・ポーの作品を翻訳した。

 僅かにこれだけである。一時期、読書界を賑わわせたほどの傑出した翻訳者だったのに、関心を持つ人がほとんどいなくなってしまったのだろうか。

 英文学者/宮本孝氏の大著『ポーと日本/その受容の歴史』を繰ると、もう少し分かってくる。以下に引用してみよう。

 訳者佐々木直次郎は、深雪降る北陸の人である。明治三十四(1901)年三月二十七日石川県小松で佐々木定松の長男として生まれ、長じて小松中学に入学し、のち金沢一中に転学した。学業成績は優秀であり、中学を四年でおえると第四高等学校に進んだ。
 大正十一(1922)年三月、東京帝国大学文学部英吉利文学科に入学し、同十四年三月卒業し、引きつづき大学院に進んだ。学窓を出てから、もっぱら著述業で生計をたてるかたわら、ほんのしばらく日本大学で教鞭をとった。
 英文学者大和資雄が東大時代の同窓であった関係から、その引きによるものであろう。佐々木は生来あまり体が丈夫でなく、昭和十八(1943)年五月二十四日、突如肺炎により逝った。享年四十二歳であった。亡骸は荼毘に付されたのち、金沢市常徳寺に葬られた。同寺院の過去帳によると、法名は「釈智導信士」とある。わたしは昭和六十(1985)年六月に常徳寺を訪ねたが、納骨のみで墓はなかった。
 小松市在住の文子夫人によれば、直次郎は油絵、旅行、クラシック音楽を好み、ことに楽器を弄のが好きであったという。家庭では仕事についてあまり語らなかったが、仕事にはきびしかった。

 戦前におけるポー翻訳で、比較的大きな仕事を成し遂げた人なので、その郷里を訪ね、足跡を辿られたのであろう。宮本氏のこの記述からは、直次郎の業績に対する著者の熱い思いれが伝わってくる。これも一つの評価の仕方であろう。単なる一研究事例であれば、わざわざ郷里を訪ねたりはしない。

 宮本孝氏の佐々木訳の評価は好意的で、「どれも訳者が精魂込めて成しおえたりっぱな仕事であり、原文は忠実に文脈にそってみごとな日本語にうつされている。」と高く評価しておられる。
 今のところ、佐々木直次郎の足跡については、以上のことしか分からない。今後、分かったことが出てきたら追加してゆきたい。

 さて、今回は、佐々木直次郎のもっとも重要な仕事として高く評価されている第一書房版の『エドガア・アラン・ポオ小説全集』を紹介したい。
 豪華本の版元として名を知られた第一書房昭和6年に刊行した箱入り、背と表紙の一部を革で装丁、天金塗り、本紙に和紙を用いた豪華本全五巻。小説全集と銘打ってはいるが、谷崎精二春陽堂版のようなもれなく全作品の翻訳を目指したものではなく、今で言えば著作集のようなものだった。直次郎もこの序文でそう断っている。

 本文の方は、青空文庫に収録されて、読める環境ができつつあるようなので、各巻に序文の形で付けられた、翻訳者佐々木直次郎による解説文と目次を画像スタイルで紹介しよう。まずは、その第1巻目。読みやすい画像を希望の方は、画像をクリックしてオリジナル画像表示にしてご覧いただきたい。