武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『科学の事典』岩波書店発行/第1版1950/3 第2版1964/7 第2版増補改訂版1980/5 第3版/1985/3


《戦後の復興にかけた科学者たちの夢》

 この頃、新刊書を手にする機会がぐっと少なくなり、それに反比例するように古い本を手にすることが多くなった。何となくそのほうが面白く気分が良いからである。読書にも高齢化の兆しが現れてきたということか(笑)。そこで<古書徘徊>と題して、以前に読んだことのある古い本のことについて少し意識的に書いてみようかという気になった。

 初めてこの事典出会ったのはいつどこか記憶にはない。おそらく中学校の図書室だったのではないだろうか。第1版の発行は1950年3月25日となっているので、小学校に上がる前のこと。第1版のまえがきには、以下のような記述がある。

終戦の翌年、1946年の早春、いまだ新しい学制も確立されない前、“科学”の編集者と岩波書店は、戦後の若い世代におくる第一の贈りものとして、やさしくてしかも正しい自然科学の事典の出版を計画した。>
<敗戦後のきびしい情勢下にあって、いまこそいやおうなしに、自分の力で生きてゆかねばならないわが少年青年たちを思うとき、彼らの自力による勉強に応ずるだけの書物を準備しておくことは、私たちに負わされた義務であるとさえ思われたのである。>

 このようにして、私がこの世に生を受けたのと同じ頃、この事典作りが始まった。子どもの頃理科が好きだったので少年期、この事典を自分のものにしたいと何度願ったことだろう。ところが50年代で定価が2800円、第1版はとてつもなく高価な豪華本だった。(この頃の都市勤労者の平均月収は1万円ほど)月収の四分の一は子どもの小遣いを遥かに超える。
 今、拾い読みしてみると、中にはとんでもなく時代を感じさせる古い項目もあり笑ってしまう。電信と電話、電灯と電熱器、ラジオ、石炭、真空管、蓄音機などなど、当時の市民生活の一端をうかがわせる項目が並ぶ。あの頃の好奇心の強い子ども達は、こういう項の原理的な解説に目を輝かせていたのである。真空管も蓄音機もばりばりの現役だった。何という時代の変化だろう。
 面白い工夫もある。数学に関連のある項目はすべて、健一くん一家とその友人の花子さんたちの身近な生活を背景にして、説明を展開している。当時の先進的な研究者達が未来に託していた夢の一端がうかがえてとても興味深い。
 最初は、教科書や先生達の説明よりも詳しいことが知りたくてこの事典を開いてみたのだろうが、いつの間にか図版が豊富で分かりやすいことが気に入って、すっかりこの事典が気にいってしまった。暇なとき何度もこの事典の興味のある項目を拾い読みするようになった。 
 装丁も凄く立派に見えた。書籍装丁用のクロスのパイオニア、ダイニックの「ダイニック80年史」に科学の事典について、興味深い記述が出てくる。

<アートベラムが最初に採用されたのは、岩波書店の『科学の事典』だった。業務を再開した岩波書店にとって、最初の本格出版物である同書は、戦後の科学教育の再出発に備えて、基準となる辞典をつくろうという狙いから出発したもので、4年の歳月を費し、百数十人の専門家が参画して完成されている。布クロスを使用した戦後初の書籍でもあった同書には、アートベラムNW42が採用された。アートベラムは近代的なセンスをもつ書籍装幀用クロスとして注目された。『科学の事典』に採用されたのがきっかけとなり、出版各社の大型の新企画に使用されるようになっていった。>

 敗戦から5年、朝鮮戦争のころ、出版人たちは小さな子ども達に未来を託して、おおきな夢のある書物を本気になって準備していたことが分かる。そんな情熱に、北国の山奥の山猿が見事に感染したのであった。私が中高生の頃手にしていたのはこの第1版である。 
 第1版に最も強く出ている内容は、記述されていることの多くは純粋な科学の紹介ではなくて、身近な科学的な技術についての説明がとても多いということが印象的。身の回りに登場してきた様々な技術が、図解入りでとても分かりやすく説明されているのが、子ども心を引きつけたのだろう。
 この事典の最大の特徴は大項目主義、細分化された小項目のチマチマした解説ではなく、200に満たない僅かな項目のもとに、関連する中小項目を吸引、総ての項目に説明の大きな展開をもたせ、一まとまりの広がりと奥行きのある情報を提供しようという意図でまとめられていること。一つの項目を読むことが一つの読書となる、本格的の読み物となっている辞書であり、ほかに類書をあまり見たことがない。